「フェミニズム」に関心がある。
というと、もしかしたら何人かは「フェミかよ、うへ〜」と思うのかもしれない。
しかし「フェミニズム」は「女がああだこうだ言う」ものでは決してなく、
政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動
出典元:
^ 1952-, Hawkesworth, M. E., (2006). Globalization and feminist activism. Lanham, Md.: حRowman & Littlefield. ISBN 074253782X. OCLC 62342167.
^ Chris., Beasley, (1999). What is feminism? : an introduction to feminist theory. London: Thousand Oaks, Calif.. ISBN 9781446210420. OCLC 731677122.
である。
“フェミ”の響きに気を取られやすいが、わたし自身が噛み砕いた捉え方だと「性差でどうのこうの言うのはやめましょうね運動」だ。
だから別に「女だけのもの」ではないよ。
で、「女だけのもの」では決してないからこそ、「本当にそうだ・・・自信を持て!強くあれ、わたし!」と思わされたのが、スプツニ子さんのトークイベントと、LiLiCoさん、ハヤカワ五味さんのトークイベントである。
彼女たちは台詞は違えど、同じことを言っていた。
「行動せよ」と。
もちろん、わたしがこう捉えたってだけだから本当の意図ではなかったかもしれない。
でも、結局、わたし自身が動き出さなければ何も変わらない。行動しようとすると、誰かから「やっても無駄だ」「お前はダメだ」と否定されるかもしれない。
それでもやらなければ、何も変わらないのだ。
日経WOMAN EXPOでのスプツニ子さん
わたしがスプツニ子さん(以下、スプ子さん)の話で好きだったのは、日本の少々頭の固い企業をサル山に喩えた話だった。
サル山ではボスザルがトップに君臨している。上り詰めることはそう簡単なことではない。でもサル山を飛び出し、サバンナ、すなわち研究機関や海外など、外の世界に飛び出して、サバイバルを繰り広げて戻ってくると、サル山のボスザルがこちらに頭を下げてきた・・・と言う例え話。
注:ここで「日本の会社をサル山に例えるなんて無礼だ!」なんて声はあげないでね。主題はそこじゃないから。
確かに例えは過激だったかもしれないけど、スッゲースッゲー雑な捉え方すると、これも「行動せよ」なんだよね。
ボロボロに傷つけられて悔しい思いをする。でも、「悔しい悔しい〜」ってその場で地団駄踏んでるだけじゃあ何も変わらない。
「見返してやる!!!」ってな気持ちを100%剥き出しにする必要もないだろうけど、「なにくそ〜!!!」って行動を始めることが、悔しい思いを払拭する近道なんだなって感じた。
※※※
わたしの話だけど、会社員時代に言われた言葉を、わたしはいまだに思い出す。女性向けの商品開発チームを組んで、女性社員で会議をしていたときに男性上司二人から言われた言葉。「でも結局女は(最終商品を)選ぶのに向いてない」「結論に持っていけないから、男がいないとダメだ」とかね。
いまだに腹が立つけど、あのとき言い返せなかったことがとても悔しいし、あの場にいた他の会社の女性があの言葉をどう感じたのかを考えると不安になる。
でも今は、思い出しても「あ〜やっぱり腹立つ!」ぐらいの怒りで済んでる。傷つきすぎることはない。
それは、直接「見返してる」わけじゃないけど(もちろん直接見返したい人は見返してもいいと思うよ)、「女だから決断力がねえとか言わせねえかんな!」ぐらいにはバシバシ自分で働き方を選択したり、稼いだり、責任を自分で果たして、堂々と生きられてるからだろう。
※※※
最後にスプ子さんは「すべての女性が素直に夢を追い求められる未来」を目指していると話していた。
わたしは「へ〜、そうなんだ」で、彼女が目指している未来の話題を終わらせたくない!と思った。
スプ子さんの生き様に憧れるだけじゃ、やっぱり何も変わらない。「できることから行動して、そういう世の中に持っていかなくちゃ!」「当事者にならなくちゃ!」って心が動いた。
スプ子さんは、そんな気持ちを奮い立たせてくれる人なのだ。
#NoBagForMeでのLiLiCoさん、ハヤカワ五味さん
#NoBagForMeは、お店で購入するとパッケージが見えないよう紙袋に入れられてしまう生理用品に、生理へのタブー視が現れていると考え、“生理ケアの選択肢の多様化”を目指すプロジェクトだ。
このプロジェクトから誕生したタンポンと生理用品の限定デザインがお披露目になって、#NoBagForMeは話題になっている。
※※※
ちょっと話それるけど、このプロジェクトのリプ欄に「隠したい人もいるんだ!」「#NoBagForMe に賛同した薬局では隠してもらえないの?!」みたいな意見があった。
どうか“No Bag”の字面だけでなく、プロジェクトの理念である“生理ケアの選択肢の多様化”に目を向けてほしいなって思った。
#NoBagForMeは、絶対にNoBagForMeなわけじゃない。NoBagForMeの人もいれば、BagForMeな人もいる。いていいんだ。
選択肢を増やそうよって言ってるだけだ。
※※※
で、イベントでは「8歳から男女一緒に性教育を受ける」スウェーデン出身のLiLiCoさんとプロジェクトの一員であるハヤカワ五味さんが、生理や性教育について話していた。
とにかく印象的だったのはLiLiCoさん。
「ああ、見習わねば」と思ったのは、自分とは違う世代の人に、今で言うセクハラ的な発言をされたときの話だ。LiLiCoさんはそんな人に対して大らかに対応する。
なぜなら、彼らは自分たちと違う価値観だから。
同じような性教育を受けていないから。
「おじさんが精一杯ひねり出して出した言葉がそれだったってだけじゃない」と、LiLiCoさんはあっけらかんと笑う。もちろんそれは、彼女自身がそれを気にしないからだと言っていた。
そして、そこではサラリと流して、上へ上へと上り詰めたとき、面と向かって言ってみてもいいんじゃない?とも言っていた。
わたしはハッとさせられた。
言われたり、やられたりしたことに対して「傷つくな」なんて言わないし、そんなん傷つく人は傷つくに決まっている。
でも彼女の発言もまた、傷ついたからと言ってその場に立ち止まるのではなく、「一旦流して、さあ、次へ!」という意識が見られるのだ。
彼女の素晴らしい姿勢はそれだけではない。
LiLiCoさんにセクハラ発言をしてしまったおじさまは、LiLiCoさんの目の前で、セクハラ教育を受けてきた下の世代の男性たちから「あれはセクハラだからやめたほうがいいですよ」と説教をくらい、ガチ凹みしてしまったのだという。それを見たLiLiCoさんは「凹まれると、こっちも凹んじゃうから」と積極的におじさまと言葉を交わし、励ました・・・というエピソード。
「セクハラ」も「パワハラ」も、人と人との間に起こる出来事は、「相手の気持ちを考えたことがない」から起こるものだと考えている。
このエピソードで登場する、おじさまを説教した男性社員たちは決して「悪」ではない。
しかし、その場にいたLiLiCoさんやおじさまの気持ちを考えていただろうか。
LiLiCoさんが出演していた『あさイチ』の「生理」「閉経」特集。わたしもたまたま見ていたのだが、「生理の女性にどう声をかけたらいいですか?」の正しい答えは、定型文のような「声のかけ方」ではなく「対話」である。
対話が、人々の対話が、圧倒的に足りていないのだ。
LiLiCoさんはおじさまと対話した。このことがきっかけでおじさまのセクハラ発言が完全に0になる・・・ってことはないだろうが、それでも「セクハラですよ」の指摘とLiLiCoさんとの対話で、少しでも変化が起きたはずだと思いたい。
もし彼に変化が起きなかったとしても、わたしにはこのエピソードが心に残っている。その結果が生じたのは、LiLiCoさんが対話したからに他ならない。
なお、ハヤカワ五味さんは、イベントの最後にこう言っていた。
「無理に話す必要はもちろんない。身のまわりの人とは、話したいときに話せる環境づくりが大事」
対話のできる環境をつくるために発足されたプロジェクトなのだと再確認した。
だから・・・#NoBagForMe だから、絶対に生理用品を紙袋に入れるな、というわけじゃない。フェミニズムを語るなら、女らしい格好をするな、も違う。
選択肢の幅を広げましょうよって話。
それを忘れちゃいけないのだ。
LiLiCoさん(↓)
ハヤカワ五味さん(↓)
「強そうだから傷つかない」なんてことはないからね
なお、スプ子さんも、LiLiCoさんもハヤカワ五味さんも、トークショーの中で「ヘイト」への対応策をサラリと披露していた。「ああ、そうやって交わせばいいんだ・・・」とめちゃくちゃ感心する対応策だったが、忘れてはならないことがある。
彼女たちは「ヘイトに傷つかない」とは一言も言っていない。
※※※
会社員時代にメンタルをぶち壊したとき、「片山さんはメンタル強そうだと思ってた」と言われて、失望したことを覚えている。
(え、じゃあ、何?強そうだから何言っても大丈夫、何しても大丈夫だって思ってたの?お前。マジかよ。最低だな)
ものすごい勢いで、その部署にいた人全員を嫌いになってしまった。別に嫌いじゃなかった人のことまで嫌いになった。
「メンタル強そうだと思ってた」と言ったのは、わたしが調子悪くなる原因を作った人じゃなかった。でもその人の発言で、多分、そこにいる人全員が、そうやって「この人は大丈夫そう」って決めつけて、人に言葉をぶつけてきたのかもしれないと思うと、ゾッとしてしまって、ダメだった。
※※※
だからどうか、彼女たちの活動に茶々を入れる、いや、茶々を入れるだなんて可愛い言葉で隠せるほどの存在じゃないな・・・彼女たちの心をわざわざ抉るような言葉を選んで、それで快楽を得るような人たちの存在が減るといいなとは思う。
議論をしよう。
誹謗中傷を向けるんじゃなくて。
反対意見があるのは別にいいんだから。
なんてことを思いつつ・・・わたしもまだまだ勉強不足なので、関心のある「フェミニズム」で議論ができるよう、抉られるような誹謗中傷を見かけても一旦流せるよう、心がけたい。
強くあれ、わたし。
では。
◆本日のおすすめ◆
はじめて読んだ「フェミニズム」の本。とても読みやすい。