小さな頃から「環境問題」について考えるのが好きだった。
今でも鮮明に覚えているのは、小学校五、六年生の頃に総合的な学習の時間に発表した「酸性雨」についてのレポートだ。環境破壊について知っては心を痛め、若干過激な思想だが「人間が絶滅すれば、地球環境はよくなるんじゃないか」と思っていた。
大人になって、色々なことを考えられるようになった結果、環境保護以外にもなんとかしなければならない社会的な問題が山積みすぎると知り、環境に対する意識が後回しになってしまった。
でも、外食業界がプラスチック廃止を決めたことや、グレタ・トゥンベリさんのスピーチを聞いて、「やれることだけでいいから、行動しなきゃ!」と思えるようになった。
きっかけはプラスチックごみ
プラスチックごみの大半は、焼却処分されている。
わたしの地元はギリ東京都な自然豊かな田舎である。そして特徴的なのは、ゴミの分別がかなり厳しいこと。専用のゴミ袋(有料)に入れなければ回収してもらえないし、資源ゴミの仕分けはダントツで厳しい。仕分けをミスると回収されず、その場に置き去られる。
燃やすごみ・燃やさないごみおよび容器包装プラスチックごみは、必ず指定収集袋(有料)に入れて出してください。
◎ 正しく分別されていない場合は収集しません。引用元:ごみ減量・リサイクル通信
地元のゴミ収集はわたしが小学校低学年くらいまでもう少し雑だった記憶があるため、段々と仕分けが細かくなったのは誇らしいことだと思っている。
でも、わたしの視野は狭かった。
「仕分けされている=きちんとゴミが再利用されている」だと思い込んでいた。「100%とはいかなくても、ちゃんとリサイクルされている」「全ての地域がそうやって取り組んでいる」「それが当然のこと」・・・そう思い込んでいた。
大学生になり、一人暮らしを始め、そのうち夫と二人暮らしを始めるようになった。都市部で生活するようになったら、ゴミの細かい分別がほとんどなくなった。厳しい分別がなくなったら生活が楽になり、ゴミ分別への意識が薄れていった。
今住んでいるところも「プラスチック=プラスチックごみ」ではなく「プラスチック=可燃ゴミ」である。地元では可燃ゴミと区別されていたプラスチックごみを、ここでは初めから燃やす気満々だ。
もちろん地元のプラスチックごみ分別も、汚れの落ちにくいものや中をすすげないものは、「燃やすごみ」として扱われていた。しっかり汚れを取り除かないと再生できないため、専用ゴミ袋に入れていたとしても、汚れていたり、再利用されるプラスチックごみの条件に当てはまっていなかったりすると「燃やすごみ」に回される。
わたしはそのことを、知っているようで全く知らなかった。
夫や夫の友人の口から「まあ、結局分別したところで結局燃やすんだけどね」という話題が出るまで、分別しているのだからリサイクルされていると信じきっていた。
日本は「我が国のプラスチックリサイクル率は84%」と鼻高々に言っているようだが、その大半は焼却処分&海外任せだ。
結論から言うと、日本は回収したプラスチックの7割以上を、“燃やして”いる。日本人は、一生懸命分別回収した廃プラは、きっと新しいプラスチック製品に生まれ変わったりしていると思っているのだが、実際にはそのほとんどは、国内で燃やされて消えてなくなって終わりだ。
引用元:世界基準からズレた日本の「プラごみリサイクル率84%」の実態 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
(↑)「一生懸命分別回収した廃プラは生まれ変わってるはず!」って信じてたわたしはバカである。
で、まあ、こんな現実に直面してたらものすごく悲しくなってしまい、その決定打がグレタ・トゥンベリさんのスピーチだった。
なんだか知らんが、彼女の怒りに満ちたスピーチの「怒り」の部分だけをピックアップして小馬鹿にする声ばかりを目にしたのも悲しかったけど、若者にあのスピーチをさせてしまったことが恥ずかしいと思った。
人間以外の動物や植物が「次の世代のために行動しよ」なんて思わないだろうが、人間は大きい脳みそ持っちゃった分、「次の世代のために行動する」ってことができる。しかも、それを良いようにも、悪いようにもね。
「次の世代が生きるとき、わたしたちはもう死んでるから関係ない」って言い切ることもできるかもしれないけど、過去には戻れないわけであって。「あのとき、ああしていれば」「こうしていれば」と思ったところで、そのときにはどうすることもできないことってよくある。
それを環境に置き換えたら、まあまあ内容が重すぎる。
時代とともに技術力もアップして、もしかしたら、もしかしたらよ、過去に起きたやばい出来事をリセットできるものが開発されるかもしれない。あと、まあ、ちょっと古い記事だけど、「自然に直るぜ」説(↓)もあるしね。
でも、やれることやって何かを変えられるのなら、やったっていいよなあ。
だから、わたしはこれからこんなことを意識する。
わたしができること
やれることは本当に小さなことばかりなんだけどね。
物を買う基準を変える
わかりやすい例でいうと、つい先日歯ブラシと歯磨き粉を買い換えたのだが、環境保護活動に取り組んでいる企業のものにしてみた。後日、改めて詳しくレビューするが、『THE HUMBLE CO.』の竹製歯ブラシと『Davids』の歯磨き粉である。
竹製歯ブラシだって、使い終わったら結局「可燃ゴミ」になる。正直な話、薄々思ってたことだけど、CO2排出量が極端に変わるわけでもない(それどころか、若い竹を使うとCO2排出量が多い的な文献も)。
だけど、プラスチックを生み出せば生み出すほど問題が大きくなるのであれば、正しいゴミ処分がされずに海に流出してしまっているのであれば、まず新たなプラスチックを生み出さない方法として「竹製歯ブラシ」はありだと思うし、海洋プラスチックを100%リサイクル使用した歯ブラシの存在も重要視すべきだ。
ゴミの量を減らす努力をする
例えばレジ袋。これは元々「そんなにいらないよな」って思ってたんだけど、買い物するとき「袋はいりません」が口ぐせ。カバンに入るものはそのまま入れて帰る。
レジ袋やショッピング袋が有料なお店は応援したくなる。近くのスーパーや『H&M』が袋を有料にする取り組みをしてるもんだから、わたしはお惣菜もお洋服も、自分のカバンにそのまま詰め込んで帰る。
それから、過剰包装されていない商品を買うよう意識。LUSHの固形シャンプーの記事でも書いたし、『Ethique』っていう固形シャンプーブランドの取り組みを参考に。
今あるものは全て使い切る
それから、すでに購入してしまったもの、家にあるものは、まず使い切る。
そもそも、大抵のものは「なくなってから買えば事足りる」はずなのだ。しかしそんなこと“ばかり”言っていたら経済は滞ってしまう。だから人々の不安や恐怖を解決するような、たくさんの商品が生まれて、人々はそれを次々に買う。
性格の悪い言い方になってしまったけど、でも、ほら、世の中には「買いすぎ」「使ってないものを気軽に捨てすぎ」みたいな人が少なからずいるもので。
だから、あるものはせめて使い切ってから捨てる。
「もったいない」を封じ込めるのも重要なことなんじゃないかな。
使ってくれる人に譲る
どうしても使い切れないものを人とやりとりして使ってもらうのもいい。フリマアプリなどを活用して「まだ使えるけど使えていないもの」をそれを欲している人に使ってもらう。
分別を徹底する
今住んでいるところはプラスチックごみを燃やす気満々だが、「資源ごみ」はしっかり分別するよう求められている。それらは指示に従って、徹底的に分別することを心がける。
以前わたしは地元で開催されたゴミ処理場と埋立地見学に参加した。ゴミ処理場で働く人が「紙ゴミは再利用できるから、出来るだけ資源ごみとして出してね」と言っていたのが印象に残っていた。
働く人の言葉を聞いて、無視するわけにはいかない。
また近所のスーパーでは、
- 牛乳パック
- 食品トレー
- ペットボトル
の回収ボックスがあるので、そこに書かれている指示に従い、しっかり洗浄し、牛乳パックはきちんと開いて、そこに入れている。
できることをやる
わたしに大それたことはできない。
小さな頃から考えていた「人間が絶滅してしまえば、地球環境はよくなるんじゃないか」という思想。今でも考えないことはない。
だが、20歳で突然大きな病気を経験し、「死にたい」から「どうせいつか死ぬんだから今はまだ死にたくない」という思想に変わってしまったので、地球環境のために自殺する勇気は出ない。次の世代には申し訳ないけど、今のわたしはまだ死にたくない。
それから、このことを考えるきっかけとなったプラスチックごみ。色んな角度から見ると、「燃やしたほうが効率がいい」「再利用にコストがかかって仕方がない」なんて言葉も聞くし、それもごもっとも。
でも、何か行動に起こしたい。
それなら、できることを少しずつやるだけだ。
ゴミを減らすとか、レジ袋を受け取らないとか、できる限りプラスチック製品を選ばないとか、日用品を買うときは環境保全に取り組む企業の製品を買うとか、できることを少しずつやる。
「できることがあるんだから、それをやる」ってな話でした。
では。
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『THE HUMBLE CO.』の竹製歯ブラシ。
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