まず、この本は子育てマニュアルではない。しかし、子育て中の親御さんの強い味方となりうる本だし、自分の親との関係に思い悩む人の味方となりうる本でもある。
私がこの本を選んだのは、タイトルにある「自分の親に読んでほしかった」という言葉が胸にひっかかったからである。
私の母親は、5年前に亡くなった。はたから見れば、母と私の関係は「普通」だったと思う。母の振る舞いは、周囲の人たちからは好意的に捉えられていたように見えたし、「毒親」ではないと思うし、虐待やネグレクトを受けたわけでもない。
でも、私は母が苦手だった。
苦手というか、実は今でも「私さえ生まれなければ、あの人は幸せだった」と定期的に考えている。それぐらい、いつも自分を抑え込んで生きてる人だった。彼女の不満は常に苛立ちとして表れていて、私はいつからか、彼女の機嫌を損ねないために、自分の意思を抑え込むようになっていた。
この本を読んで、母が抱えていた悩みや苦しみを想像することができたし、こうやって伝えてもらっていれば、もう少し彼女も私も素直に生きられただろうに、と感じることが多々あった。すでに亡くなっている母に対してどうすることもできないのだけれど。
特に、「第2章 子どもの環境を見直す」の「大事なのは家族構成ではなく、どう暮らしているか」という項目では、自分の家族の間に流れていた不和の感じが理解できた。
父は母のことが好きだが、母の本心は結局分からずじまいだった。この間父と話した時には、「もし彼女がこのまま生きていたら、熟年離婚してたかもしれない」という話題も出てきた。
私は昔から、母と2人きりの時、父の愚痴をずっと聞かされていて、その時「なぜ母は離婚しないのか」と疑問に思っていた。私がいるから離婚できないのか、と考えつき、そこから冒頭で述べた「私さえ生まれなければ、あの人は幸せだった」という考えが浮かぶようになった。
家族が一緒に暮らしていようがいまいが、夫婦の関係と親子の関係は別物として捉えねばならない。はらわたが煮えくりかえるような気分になるかもしれないが、本文に登場する“別れた相手と良好な関係を保つことが不可能な場合”に心がけておきたいことにはハッとさせられた。
ここで紹介されたメルという女性にはノアという6歳の息子がいるが、ノアの父親であるジェイムズは息子と関わるつもりがいっさいなかった。そんな中、彼女は以下の対応をする。
メルはノアの父親に失望しましたが、それをノアに話さないほうがいいことはわかっていました。息子に父親のことを訊かれたら、たくさんあった長所や才能を思いだし、それを話すことにしています。将来、もしノアの父親が息子の人生に関わりたいと願ったら、メルがジェイムズについて肯定的な話をしていることがきっと助けになるでしょう。
引用元:フィリッパ・ペリー著、高山真由美訳 『子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本』p.51(日経BP 日本経済新聞出版・2023年)
そしてこの項目はこう締めくくられる。
メルのケースを紹介したのは、別れた相手と協力して円滑な関係を築くのが常に容易であるとは限らないと示したかったのです。良好な関係が築けないとき、私たちにできるのは、子どもの前で__できれば、自分の心のなかでも__もう1人の親をできるかぎり中傷しないようにすることだけです。
引用元:フィリッパ・ペリー著、高山真由美訳 『子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本』p.51(日経BP 日本経済新聞出版・2023年)
この項目を読んで、自分の両親の対話を思い出すだけでなく、私たち夫婦の議論の仕方についても定期的に見直さねばと思わされた。
もし子どもができた時、どんなに夫婦間に不満があっても、それぞれの不満を子どもにだけ口にするのは絶対に避けたいところだ。そうでなければ、かつての私が父親に不信感を抱いた時のようになりかねない(今は父と娘の関係は良好)。
子どもとの関係、かつて子どもだった自分と親との関係について思い返す機会が与えられる本だからこそ、読むのに骨が折れたり苦しくなったりすることもあると思うが、親子関係に少しでもモヤモヤを抱えている人にはぜひ読んでほしい。
私は少なくとも、この本は何度も何度も読み返したい。読み返して、母と過ごした日々を振り返り前向きに捉えられる日が来るようにしたい。読み返して、老齢ではあるがまだ健やかに生きている父ともっと議論し、信頼できる親子関係を築き続けたいと考えている。