過去に書いた記事を振り返りながら、今(2024年現在)を振り返る。今回取り上げるのは、2019年に書いた『夫のひげが痛すぎる。スキンシップの弊害となる「ひげ」、わたしが考える対策とは』という記事だ。
世の中には「夫のひげが痛いなら剃ってもらう」という解決策しかないっぽい。
しかし、私は夫にひげを剃ってほしいわけではない。
ひげのない顔も好きだが、ひげのある顔の方が馴染みがあるし、何より似合うので「痛いから剃ってくれ」とは言い難い。それに夫はカミソリ負けしやすく、やむをえずひげを剃るたび真っ赤になったり腫れたりして痛そうだ。剃らずに済むなら、剃らない方が肌に良さそうなのである。
でも、ひげがある顔で頬ずりされれば当然痛い。彼のヒゲはTシャツなど薄い生地の洋服を通すほど健康的なものなので、肌にあたればどこでも痛い。
ただ、2019年以降、やっぱり決して「解決策」ではないものの、折衷案みたいなものは編み出すことができた。
それが、やり返す。
夫の困ったところがもう一つあり、それは人の痛みにも自分の痛みにも鈍感すぎるところだ。私が痛いと感じることが、彼は全く痛くない。しかも時々、痛いことにも気づいていない。そして、痛いか否か以前に、「基本的には何をされても気にしないよ」と打ち明けられた。恐ろしい男である。
でも、だからこそ、やり返すことができると知ったのだ。
もしかすると、これから書くことにギョッとされる方がいるかもしれないが、私は時たまタワシでやり返す。「このぐらいの痛みだぞ」と訴えて、体に軽く押し当てる(過激かな、これ)。
つっても当の本人は「本当だ、痛いね」と笑い、数分後にはさっき私に「痛い!」と怒られたことを忘れてひげを押し当ててくるのだが。
他には、彼の二の腕を彼の顎に押し当てさせ、痛みを体感させる。これも結局は先で記述したように「本当だ、痛いね」で終わってしまう出来事なのだが、言っても言っても聞いてもらえない時にはやり返すことに決めたのだ。
考えてみると、本来これは笑い話ではない。
時々私は夫の危うさにひそかに恐怖を覚える。人が嫌だと訴えても、それを言われたことを忘れて、人が嫌がることを繰り返すというのは、実はなかなかヤバいのでは……?
とはいえ、先日、今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 』(日経BP、2024年)に、
- 一人ひとりが違ったスキーマ(得てきた情報などによって生み出される先入観や思い込み)を通じて言葉から情報を得ている
- 人はどうでもいいことをすぐに忘れてしまう
とあり、そこで合点がいった。
残念だが、彼にとって私が感じる痛みなぞどうでもいいことなのである。加えて、やり返されることもどうでもいいことなのだ。
彼自身が言ったことだが、彼はその時々の欲求のために生きており、その時々の欲求が最優先になる。仕事に夢中なら、他者のことなぞ余裕で放っておける。私が痛いかどうかより、自分が頬ずりしたいか否かの方が優先される。
夫の話に当初は愕然としたし、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の「人はどうでもいいことをすぐに忘れてしまう」もそれなりにショックだったが、自分も一人の人間で、自分にだってどうでもいいことはあるし、どうしても覚えられないことはあるから、全員に当てはまるこった。
そうしたら、もう、今回の課題に残された解決策は、世の中の一般的な解決策含めてこうなるといえよう。
- ひげを剃ってもらう
- 「痛い」と言葉で伝え、嫌だという意思を訴え続ける
- 同等だと考えられる不快感を受けてもらう
加えて、これは私の見解だが、人が嫌がることを散々しておいて、「同等だと考えられる不快感を受けてもらう」際にめちゃくちゃキレてきたり、露骨に不機嫌になったりするような人は、一緒にいてもあなたに利益が全くない人だと思うので、離れた方がいいと思うよ〜と思っている。だって関係が対等じゃないもの。
もちろん一番は、人が嫌がることをわざわざしないことである。