レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳、川内倫子写真『センス・オブ・ワンダー』(新潮文庫、2021年)

センス・オブ・ワンダー(新潮文庫)

この本を手に取ったのは、国語便覧に掲載されている作家の作品で「まだ読んだことのない作品を読みたいな〜」と思った時に、たまたま目にしたのがきっかけ。レイチェル・カーソンといえば『沈黙の春』だ。環境問題の啓発に大きな影響を与えたこの作品も読んだことがないのでそれを読んでもよかったのだが、絶賛育児中の体で読破する自信がなかった。『センス・オブ・ワンダー』は文章が短くて読みやすそうだったのだ。

 

実際、『センス・オブ・ワンダー』は文章が短くて読みやすかった。けれど、それ以上に、自分が忘れかけていた感覚を呼び覚ますような本で驚いた。実は、「このエピソードが好き」「この描写が好き」といった具体的な印象はあまり残っていない。何度ページをめくって読み返しても、どんな内容だったかを語れるほど印象には残らないのだが、面白いことに、何度ページをめくって読み返しても、森林特有の湿り気や断崖絶壁に打ち寄せる波を眺めている時の音、大きな岩に対峙した時に感じた畏怖の念や名前は知らないけれど耳馴染みのある鳥の歌声といった、そういう感覚ははっきりと思い出される。

 

今住んでいるところは、決して緑が鬱蒼とした場所ではない。しかし耳を澄ますと、毎朝鳥が良い声で鳴いている。秋の夜長には虫の声もする。少し車を走らせたところにある自然からは湿り気を感じる。自分が生まれ育ったところの緑に比べると、少し寂しいとはいえ、自然がないわけじゃない。そういう、感じ取ろうとすれば掴める「自然」を『センス・オブ・ワンダー』は思い出させてくれるし、自分が生まれ育ったところで感じてきた「自然」も思い出させてくれる。そういう体験から、この本は“感性”に触れる本なのだと思わされる。

 

私自身が子どもの頃に感じた「ワンダー」は、生き物の生の終わりであり、それは今でも興味の対象となっている。幼稚園児の時に見たウサギの死骸、小学生の時に見た鳩の死骸、猫の死骸。あの“生きていた”状態から1つの“もの”になってしまう静かな変化が気になって仕方なかったし、その静かな変化に対して、人がさまざまな反応を示すことも興味深かった。今も結局、ずっとそのことについて考えている。

 

せっかくだからカーソンのように、自分の子どもに「センス・オブ・ワンダー」を大切にしてもらえるような経験をさせてあげられたら、と思う。私自身は、読み終えて残った感情、どこか懐かしい気持ちだったり、「センス・オブ・ワンダー」を感じにくくなっていることへの寂しさだったり、を大事にしたいと思う。