こんにちは、齋藤吐夢です。
死ぬ気まんまん、という「死」という言葉が入っているにも関わらず、前向きさ気迫に満ちあふれているタイトルに惹かれてしまった。
死ぬ気まんまん
表題エッセイのあらすじがすでに面白い。
ガンが転移し余命二年を宣告されながらも、煙草を吸い、ジャガーを購入し、ジュリーにときめく。そんな日常生活や、一風変わった友人たち、幼い頃の思い出などが、著者ならではの視点で語られる。
引用元:「死ぬ気まんまん」文庫本裏表紙より
どうせ余命宣告されるなら、確かにこのぐらい堂々と生きていたいよな。そう思った。
思えば「闘病記が嫌いだ」と断言し、生きることを客観視したエッセイでこのブログでも数回紹介している内澤旬子さんの身体のいいなりも同じような潔さ。
けれど彼女の方がたくましさと説得力が違う。享年72歳だからだろうか。愛を込めてババアと呼ばせてもらうが、このぐらい肝っ玉ババアになりたい。まあ、とにかくかっこいいのだ。
佐野洋子という女性
著者である佐野洋子さんという女性については、あまり詳しく知らなかった。が、この本を手に取った時、100万回生きたねこの著者であることを知った。
かの有名な絵本作家だったか!と驚いたが、エッセイの中身を読んで驚いた。予想以上にロックな生き様だと思った。口が悪く、威勢のいい女性のように思えた。
絵本作家さんへの偏見だが、もっと穏やかな人ばかりかと思っていたが、絵本というジャンルを描くからといってほんわかばかりなわけがないよな笑。
ただ『死ぬ気まんまん』を読み進めていくと、『100万回生きたねこ』のストーリーを思い返し、確かに佐野洋子さんでなければ書けない絵本だとも思った。
ホスピスの描写
エッセイの後半「知らなかった」というお話の中で、佐野さんがホスピスで過ごす様子が描かれている。終末期ケアを行うところだと辞書的に記載されている。
終末期にはまだまだ遠いであろう(死にたがりだけど今のところ)私にとって、身近な存在なわけでもないホスピスに興味を抱いた。圧倒的にそこには死が充満している。
でも恐怖するような死というよりは、穏やかな死。死に穏やかもへったくれもねえよ、とも言えるが、佐野洋子さんの文面を読み進めると、ホスピスの様子はモネやルノワールの絵画みたいだ。
うすぼらけの中、自然だけがはっきりと目に入ってくるような、夢とうつつを行ったり来たりするような、そんな色に染まって見えた描写だった。
自死する必要もない
読み進めていくと、自死する必要がどこにもないことを知る。死は突然訪れるから、かなり不条理な存在ではあるけれど、平等かもしれないね。
自死する必要もない。
どうせいつか人は死ぬ。
だから「はい、じゃあ、いつでもどうぞ〜」って言って軽く命が奪われるのは毛頭ごめんだが、死ぬ気まんまんなら返って生きる気まんまんになるってこった。
すごいぞ、佐野洋子。今更だけどファンになった。きっとそれを伝えられたら、今更どころかファンなど要らんわ、と一蹴されそうだけど。
では。
過去記事ではこんなことを書いています。
◆本日の一冊◆