こんにちは、齋藤吐夢です。
死ぬことばかり考える
死ぬことばかり考える毎日だが、「死にたい」わけじゃない。「自殺を考えたことがあるか」、もちろんあります。だけど、それは今じゃない。今の私は、死ぬことばかり考えるってだけで、生きてます。
じゃあなんで、死ぬことばかり考えてるのか。
見えもしない未来の中で、唯一分かっていることが「死ぬこと」ぐらいだからっす。
初めて見た死が忘れられない
初めて”死”を知ったのは、幼稚園年少の頃。
私が通っていた幼稚園には動物がたくさんいて、私は登園する度、うさぎ小屋を見に行くのが好きでした。そしてその日、4羽の子うさぎが死んでいました。同じ小屋に入れられた黒うさぎが、白うさぎの産んだ子供を殺したのです。
白うさぎも傷つき、血まみれでした。黒うさぎの顔には血がついていました。死んだ4羽の子うさぎは、もう”モノ”になっていました。その次の日、黒うさぎはいなくなりました。私は大人が、黒うさぎをどこかへ追いやり、殺したのだと察しました。
人が死ぬのを見たいわけじゃない
うさぎの死をきっかけに、幼稚園年少の時点で死を知った私は、それ以降様々な動物の死、人の死に触れてきました。ただし、私は人が死ぬのを好き好んで見たいわけじゃない。人が死ぬのを見るのは、ものすごく怖いと思ってる。
日常がそのまますっぽり抜け落ちてしまうような感覚が、怖い。
親しすぎた人の死は、まだ経験がない。だけど、ちょっと親しかった人の死は3人くらい経験していて、やっぱりゾワッとしたというか、「人は死ぬときは死ぬんだ」というか・・・まるっとそのまま、あったはずのものがなくなることの恐怖ってすごい。
死ぬことだけが平等だから考える
そんな恐怖を味わっておきながら、私が性懲りも無く死ぬことを考える理由は、死ぬことだけが平等だから。どんなにお金持ちでも貧乏でも、幸せでも不幸でも、男も女も、人間も動物も植物も、絶対に死ぬ。
絶対に死ぬんです。
私もあなたもいつか死ぬ。ただそれだけだから、考えられる。
死は別にネガティブじゃない
死ぬことばかり考えてるけど、私はこれをネガティブなことだと捉えていない。ただ興味があるだけ。誰一人経験したことがないのに、必ず経験する羽目になる事象に興味があるってだけ。人一倍、興味があるってだけだ。
死ぬことばかり考えてたって別に良いのだよ。
考えるのは自由だから。
うっかり同じような記事(↓)も書いてるけど、