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死について、私が抱く感情。経験したことがないから怖いけれど、受け入れたい。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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人の死を知ると、ぽっかりと穴があいたような感情を抱く。

 

人が亡くなった時

人の死を経験している。

亡くなることに恐怖がある。それは自分が経験したことがないからでもあるし、普通に訪れていた日常突然抜け落ちる感覚があるからだ。

そんな感覚から、亡くなったという事実への悲しみ以上に、いつ訪れるか分からない死への恐怖で泣くことが多い。

いずれにせよ、悲しい感情であるのは確かだ。

 

死は突然訪れる

死はあまりにも突然の出来事だ。

 

私にも人の死の連絡があった。でもそのときは、亡くなった人が直前まで元気で、すっと眠るように亡くなったことを聞き、安心した。苦しくなかったならそれでいいと思った。

そう思えたのは、その人が決して若くなかったからかもしれない。

もしそれこそ、突然私の両親や夫が亡くなった時にはどうしても受け入れがたいだろうし、訳も分からなくなるのだろうと思っている。

 

でもどのような死であっても

それは突然やってくる

 

いつ順番が回ってくるか分からないものだからこそ、死に直面した人は恐怖するのかもしれないし、亡くなった人を弔う人はその突然の出来事に、ぶつけようもない怒りや悲しみを味わうことになる。

 

経験したことがないから怖い

当たり前だけれど、私は死を経験したことがない。私自身の死は本当に怖い。何が待っているのだろう、と想像すると何も分からないから怖い。

小学生の頃に、なんだか嫌になってドアに紐をくくって首を通してみたけれど、今生きているということは死ぬのが怖かったということだ。

4〜5歳の時に、動物の死を間近で経験して以来、20数年間気がつくと死について考えている。それでもやっぱり死が分からないし、死ぬのも死なれるのもつらい。絶対につらい。

 

それでも、自分の身に起きる死は受け入れたいと思った。実際に受け入れられるかは直前にならないと分からないし、生きたい!ともがきながら死にいくのか、この世に満足しきってから死ぬのか全く分からない。

それでも、自分の身に起きる時のために身構えておきたい

 

死について考える

最後に、死を忌み嫌うものとしてではなく、純粋な「死」として捉えた本を紹介する。

不謹慎だ!というかもしれないが、「死=穢れ」「死=触れてはいけないもの」のように扱ってほしくない。簡単に片付けてほしくない。

 

「死」は当たり前に存在する

 

私個人の感性だが、そうやって受け入れていた方が、恐怖は薄れるし、私が自殺せずに済んでいるのも「いつでも死ねる」と分かっているからである。

例えば、私が「死にたい」と思って購入した完全自殺マニュアルは、逆に「いつでもこの通りに死ねる」という安心感から自殺せずに済んだ素晴らしい本だと思っている。

決して自殺を推奨する本ではなかったのだ。

 

もっとポップに自分の人生の終わりを考えたければ、死にカタログが読みやすい。有名なイラストレーターの可愛らしい絵柄の割には、しっかりと死について考えることができる。

そう、この本はポップな絵柄の割には内容が至って真面目だ。

 

私たち日本人の感性ではない死生観を知りたければヤノマミという有名な民族の話がおすすめだ。

彼らの感性は、私たちには絶対にない。けれど、死生観だけでなく信仰の原点をも知ることが出来る彼らの生き方は尊い。読み終わった後不思議な余韻を残すはずだ。

 

一番最近に読んだ本で、感動と同時に感謝がこみ上げてきたのは、湯灌師という仕事についての話だ。死んだ身体と対峙する仕事である。遺体の身体を丁寧に洗い、旅立ちに備えるという仕事は知っておかなければならない。

 

死をしょっちゅう考えているけれど、

絶対に避けることができないのだから、

考えてもいいと私は思う。

 

真剣に死と向き合いたい。

では。

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