双極性障害の治療中であるわたしには、洗濯も料理もできない日がある。洗濯機を回すだけ、ができない。冷蔵庫に食材があっても、料理を始める気力が湧かない。床に落ちているものを拾うことさえ、億劫に感じる。
そんな日がある。
普段なら特に意識せずにできることが、どうしてもできなくなる日があるのだ。
家事の手順は頭ではわかっている。でも、体を起こして、何をするか決めて、実際に動くまでの一つひとつが重く感じられるのだ。
そういうとき、必要なのは、家事をうまくこなす方法ではない。洗濯も料理も無理な日に生活が完全に行き詰まらないよう、あらかじめ暮らしの基準を下げておくことである。
できない日は、いつもの生活をしない
家事には終わりがない。洗濯をしても、また着れば洗濯物は生じる。食事を用意しても、数時間後には次の食事が必要になる。掃除をしても、暮らしていれば部屋は少しずつ散らかる。
体も心も元気な日なら、この繰り返しをある程度受け入れられるものだ。しかし、余裕がない日に同じ量をこなそうとすると、家事だけで一日の力を使い切ってしまうことがある。
そんな日は、家事を終わらせるんじゃなくて、自分をこれ以上消耗させないことを優先している。
洗濯物は基本ためられない性分だが、乾燥機という心強い味方ができてから「朝やらなくてもいい」とか「あとで回せばいいや」とか、そういう発想が浮かぶようになった。料理ができないなら、何か食べられるものを買えばいい。お金はかかるが、気力と時間を節約できているならそれで十分だ。部屋が散らかっていても、横になれる場所だったり、作業するのに必要な場所が残っているなら、今日すべてを片づける必要はない。
普段はつい、調子がよい日にできることを自分の標準だと思ってしまうことがある。
しかし、使える体力や気力は毎日同じではない。昨日できたことが今日できないからといって、怠けているわけではない。今の自分に使える力が、昨日より少ないだけかもしれないじゃないか!
だからこそ、暮らしの基準を下げておく。
余裕がない日の暮らし方を理解しておく。できない日には、できない日の、暮らしの「最低ライン」を使う。そのほうが暮らしやすい。
暮らしの「最低ライン」を決める
まず、これだけできれば十分、という基準をつくる。この際、「ここまでは必ずやらなければならない」という厳しい基準はつくらない。「今日はこれだけでOK」と、自分を認めるための基準である点に注意。
たとえば、食事は「料理をする」ではなく、「食べられるものを食卓へ出す」を最低ラインにする。洗濯は、「すべて洗って畳む」ではなく、「洗って乾燥する」だけにする、とか。掃除なら、「部屋をきれいにする」ではなく、「寝る場所は散らかさない」「床にはものを置かない」みたいな基準でもいい。
だって、最低ラインは自分が生活を続けるためのものだから。一般的な家事の水準より低くても問題なし(むしろ、自分のためにそうであれ)。
なお、何もしないことも選択肢に含める。最低ラインさえも義務にしないことが大事。ダメな日はもう本当にダメである。身動きできない。そういうときは最低ラインもしんどいから、そういうときのために「何もしない」も選択肢に入れる。
着替えない。洗わない。片づけない。食事も、手元にあるものを口にできればOK、のように。必要であれば、家族や身近な人に助けを求める。まあ、これが一番難しいんだけど。
とはいえ、何もしないことは、生活を投げ出すことではない。今ある力を使い切らないためのことだ。
以下、わたしの具体的な実践例。
洗濯ができない日のために
洗濯物は畳まない
洗濯物は分けて置くだけでも。
洗濯って、洗濯機を回して終わりにはならない。一般的には洗濯物をまとめる、洗濯機に入れて回す、取り出す、干す、取り込む、畳む、収納するという作業が続く。
わたしは工程を減らすことにした。
まず干さない。乾燥機を活用するようになってから楽チンである。天気の良い日には「外で干せたら気分がいいだろうな」と思うこともあるが、干すという地道な行為、そして乾くまで、がボタン1つでできる機械を使わない手はない。
そして乾いた洗濯物は畳まない。自分、夫、子供の服とタオルなどに大まかに分け、かごへ入れる。タオルは定期的に畳む機会があるが、毎日畳む作業が3日に1回ほど、余裕のあるときにやる、と決めただけでも心は楽になった。
洗わなくても困らないよう衣類を増やす
洗濯ができない日が続くと、着るものがなくなることへの不安が大きくなってしまうので、最低限必要な衣類を少し多めに持っておく。
基本的には毎日洗濯するので2着あれば十分だが、毎日同じことができる確証がないので、3セット、場合によっては4セット用意してある。下着、靴下、Tシャツを3つずつ。ジーンズや部屋着はそんなに洗う頻度が高くないから各2セット。
むやみにものを増やしたくはないが、何もできない日を支えるために予備を持つという考え方だ。
加えて、乾燥機に入れる前提で洗濯しにくい布地は避けるなどの工夫もする。
着替えない
一般的には、朝になったら日常着に着替え、夜になったら寝間着に替えるものだと思うが、着替える気力もない日がたまにあったので、Tシャツ(秋冬は長袖やスウェット)は寝間着と翌日の日常着兼用にしている。
夜、お風呂に入った後、着替えたものがそのまま翌日の日常着となる。
料理ができない日のために
調理しなくても食べられるものを用意する
料理もまた、そう簡単な家事ではない。食材を切って加熱するだけで終わればまだできそうなものだが、献立を考えるとか、冷蔵庫を確認して取り出す、切る、調理する、食べ終わったら食器を洗う、余ったものを片づけるところまでが料理だと思う。この複雑さよ。
だから、できない日に備えるというのは、料理(調理)を簡単にすることもあるけど、料理そのものをしなくてもよい選択肢を用意しておくことが大切だ。
朝食などは、あまり考えずに動けるようにしている。それでも工程はやや多く感じられるが、食パンにハムとチーズをのっけてトースターで焼く、ジャム塗る、ヨーグルトを皿によそう、それだけ。〇〇するだけで食べられるものを用意する。
最近は、料理が一番心身の負担になっていることに気づいたので、調理済みの料理が届く宅配食を活用している。献立も考えなければ調理もしない。届いたものを電子レンジで温めて食べる。わたし個人としては食事はこれで十分だと気付かされた。
何を食べるか考えることも時には負担になるので、今後は「迷ったらこれを食べる」という定番を数種類決めておこうとも思っている。
食器を使わない、洗わない方法を選ぶ
宅配食の日は、調理済みの宅配食が入ったプラスチック容器のまま食卓に出している。この辺は、正直夫が「食器によそうから食事が美味しい」みたいな発想の人なので、完全にはできていないが、個人的にはもう食器を使わないのが一番だと思う。
買ってきた容器のまま食べる。パンやおにぎりを包装から直接食べる。紙皿や割り箸を使う。飲み物はペットボトルや紙パックから飲む。
環境への配慮や節約を考え始めると、使い捨てのものに抵抗を感じるかもしれないが、その場合には毎日使うのではなく、できない日はそうする、と決めて用意すればいい。
食器を洗う負担がなくなることで、気持ちが楽になるなら、それは十分暮らしを支えるものとして機能する。
なお、食器を洗わなければならない場合、それでいてすぐに洗う気力がない場合には、水にだけはつけておくことをおすすめする。水につけておかないと食事の跡がカピカピになり、かえって洗い物が大変になるから。
また、予洗いの必要ない、有能な食洗機があるなら絶対にそれを使ったほうがいい。我が家の食洗機は予洗いしないときれいにならないという、食洗機にあるまじきめんどくささを持っているので、手洗いのほうがかえって楽なのである。
掃除や片づけのために
使う場所だけ空けておく
まず、わたしは毎日は掃除しない。とはいえ、精神的に余裕がなくなるとどんどん部屋が散らかるタイプであるから、そうなるとすべて片づけなければ!と感じるようになる。が、部屋全体を整えるには意外に多くの判断と動作が必要である。
何を捨てるか。どこへ戻すか。あとで使うか。今片づけるべきか。
余裕がない日には、それらを一つずつ判断するのは難しい。そこで、部屋全体ではなく、今使う場所だけを空ける。
眠るために布団の上を空ける。食事をするために机の一角だけ空ける。使っていないものをひとまず箱や袋にまとめて端へ置く。
部屋をきれいにすることより、眠る、移動するといった最低限の行動ができることを優先する。
ごみはとにかくひとつにまとめる
分別については、地域のルールに従う必要がある。しかし、余裕がないときには、「これは何ごみか」を考えるだけで手が止まることもある。
そんな日には、まず散らばっているごみを一か所にまとめることを優先する。分別はあとでやるとして、まず「ごみはごみ箱に」だけ守るのだ。
もちろん、食品のごみや液体が残っている容器など、においや衛生面で問題になりやすいものは、可能な範囲で別にしたほうがいい。自分のためにも。でも、その場ですべてのごみを正確に分別する必要はないと思う。
できない日を前提に準備しておく
手順や選択肢を減らす
できない日に困ることといえば、作業そのものもそうだが、何をするか決めることもある。選択肢が多いほど、負担は大きくなるものだ。
なので、比較的元気な日に、できない日用の仕組みをつくっておく。
着る服の組み合わせを固定するとか、片づけ先が決められないものを入れる一時置き箱をつくるとか。
誰かやサービスに頼る方法を決めておく
頼る、の力は強い。
何もできない日を一人の工夫だけで乗り切ろうとすると、負担が大きくなりすぎる。頼れる人やサービスがある場合は、元気なうちに頼り方を決めておくとよい。
たとえばわたしは「ダメだな、今日」というときは、乾燥機に入れる作業を夫に依頼する。洗濯物をまとめて放り込み、ボタンを押す、という行為がダメな日もある。そういうときは素直に「お願いします〜」と頼む。
宅配の食事も存在がでかい。3食分考えなくてよいのだ。温めて食事を出すだけでOKは、料理がどうしてもやりたくないわたしには感動的なサービスである。最近、別の宅配食も注文してみた。よければ2サービス活用する。お金はかかるが、毎食好き勝手に外食していたときよりは若干安い。
場合によっては家事代行も考えている。ネットスーパーの存在も大きい。量も大きさもでかいものを宅配してもらえることのなんとありがたいことか。
できない日に無理を重ねないための生活設計をする
最後に、大事なのは「調子が戻ったあと、遅れを取り戻そうとしない」ことである。
少し動けるようになると、できなかった分を一気に取り戻したくなることがある。たまった洗濯物を洗って、部屋を一度に片づけ、何日分もの料理をしようとする。しかし、元気が戻り始めた日に無理をすると、再び疲れ切ってしまうものだ。
洗濯物がたまっていても「いいじゃん」ぐらいの気軽さでいきたい。実際には全然まだまだできていないんだけど。でも、まずは片づけも部分的でOKだし、食事も、余裕が戻ったからといって、急に手の込んだものをつくらなくていいのだ。
洗濯も料理も無理な日はある。そういう日をなくせればいいのだけれど、それは現実的でないから、せめて、そういう日にも困りすぎない暮らしをつくる。
最低ラインを下げることは、自分の気力が少ない日にも生活をつないで、自分をこれ以上追い詰めないための工夫である。