こんにちは、齋藤吐夢です。
物騒なタイトルだが、夫婦間では話がついているので安心してほしい。ただ「そんな人もいるんだな」と頭に入れておくと、これから出会いがあったときに、面喰らわなくて済むと思う。
これは1人の、妻であり恋人である女の悩みであり、その女が出した結論である。
夫からプレゼントを拒絶される恐怖
この記事を投稿した2月14日はバレンタインデーである。私は夫にチョコレートをつくる予定はない。渡す予定もない。「せっかくのバレンタインデーなので頂戴よ」という発言があるかもしれないが、それも多分、ぬるっと1日が終わって、終わりである。
夫にプレゼントをしても、それを拒絶されてしまうかもしれない、そんな恐怖が私にはある。
私は彼にプレゼントをしたい気持ちがあるし「これをプレゼントしたら喜ぶかな」と思うこともあるが、その場の思いつきが思わぬ失望を生む可能性があって、怖くてできない。
気持ちが全部顔に出る夫
というのも彼の場合、気持ちが正直に顔に出るのだ。それはもう、混じりっけのない純粋さであり、嬉しくないと嬉しくないという顔をする。もちろんその逆のことが起きた時は、私も同じくらい嬉しくなるほどの表情を見せる。
ただ、それが私のプレゼントしたい欲の邪魔をする。
正確にはプレゼントした後に喜んでほしいという私の”勝手な”気持ちを阻むのだ。
「これは要らないや」と言える
彼は表情だけでなく、言葉でも思っていることを表現できる人間だ。そのため、「ん〜要らないかな」とサラッと言うことができる。それもプレゼントした人の前で言える。社交辞令という言葉は知っていても、それを使う人ではない。
実際に私がプレゼントしたものの中には、「ん〜要らないかな」に遭遇してしまい、いつまでも押入れにしまわれている服飾品もある。
はまらない限り使わない。プレゼントなんて、贈った時点で受け取った相手のものだから、それは別に構わないのだけれど・・・「プレゼントしたい」という私のエゴにより、私が、やっぱりちょっと悲しいのだ。
プレゼントはエゴなのだ
おつきあいを始めた時、昔の話をした。過去の彼も、人からのプレゼントに「そんなに嬉しくない」と言ってしまったらしい。はじめて聞いた時、プレゼントした側の気持ちになり「そ、そんな・・・」と唖然としたものだが、今では納得できる。
なぜなら、受け取る相手の気持ちは、聞かなければ分からないからだ。
「喜ぶかなと思って」と購入したプレゼントで喜んでもらえるのは、ある意味”運が良い”だけであって。正直もしかしたら、その場では「わーありがとー」と言ってるだけで、実際には「ん〜要らないかな」の可能性だってあるのだ。
拒絶される恐怖、と書いたが、所詮プレゼントはエゴなのだ。
事前に確認してからプレゼント
だからと言って、拒絶される恐怖がおさまるわけでもない。そのうえエゴをなくすこともできない私は、性懲りもなく「あ、これ彼にプレゼントしたいな〜」という物を見つける。ただ、その場で買って「はい、これ」と言うことはない。
事前に「これをプレゼントしたいのだけれど」と聞く。
もちろんはじめのうちはサプライズを企画し、彼の発言に耳を傾け、彼が「ほしいな〜」と口にしたものをプレゼントし、見事驚かせたこともある。が、最近彼は「ほしいな〜」と口にしたものを自分で買っちゃうのだ。良いことだけど、悔しい。
と言うわけで、先に聞く。んで、ついこの間も「ん〜要らないかな」を言われて、ショックを受けたところだ笑。エゴと分かっていても、ショックである笑。
恐怖を感じながら伝えたいもの
夫は、「違うな」と思ったら「違うんじゃないですか」とはっきり言える男である。そんな彼からはっきり言われることに相も変わらず恐怖を感じている私だが、「この人、すげーな」とも思っている。
このご時世、そこまでびっくりするほどハッキリと、「違うな」「要らないな」を言える人ってそうそういないんじゃないか。他人の評価を気にしながら生きる人も少なくない。その中で、全くもって他人を感じない男というのも稀有である。
そんな人に出会えた感謝を伝えたい
・・・だけなんだけどなあ笑。
では。
◆本日の一冊◆
夫の言いたいこと、分からなくはない。
今週のお題「バレンタインデー」