家事にトラウマがあるから、趣味ぐらいの手軽さで家事をするよう心がけてる。

やってもやらんでも死なない。

でも、やったら気持ちがいい。

そのぐらいのスタンスで家事やってます。

 

※家事の話というより、母とわたしの回顧録です。精神的にキツかった話をするので、精神的にキツかった話を読むのが苦手な方は読むことをおすすめしません。

 

 

はじめに

家事は、

家事(かじ)は、掃除、洗濯、炊事、買物などの、家庭における日常生活のことである。

引用元:家事-Wikipedia

とある。

「名もなき家事」についての話題を耳にして、家事というものが、夫婦や家族で暮らす人の頭を悩ませるものの一つであると改めて知る。

www3.nhk.or.jp

わたしは時々「家事、クソめんどくせえ」ってなる。

でも、わたしの場合、食器洗いが滞っていたり、部屋の隅にホコリが積もっていたりするだけで、自分のメンタルが大荒れすることを分かっているので、「家事=やらなければならないこと」を覆すことができない。

 

だからこそ「趣味」のスタンスでやる。

「やってもやらんでも死なない。でも、やったら気持ちがいい」ってな感じで。

 

この考え方に至るまでの間に、家事に対するトラウマがあった

家事、というより母親への

 

「家事」にイライラする母を見て育った

※※※

わたしにとって家事とは「母を苛立たせるもの」だった。

だから、わたしは家事が嫌いだった。

今思うと母は完璧主義者だった。自分の中に確固たるルールがあり、そこから外れるとイライラしてしまう。家事を手伝わない父と娘を見て苛立っていた彼女だが、手伝ったところで、彼女のルールに従わないと、またイライラする。

娘だったからか、父にもう期待をしていなかったからかはよく分からないけれど、わたしは厳しく家事を「指導」されていた

洗濯物の「たたみかた」、食器片付けの「流れ」、掃除機の「かけかた」など。

※※※

わたしも母の完璧主義を受け継いでいる部分があるから、彼女のやりたかったことは分からなくもない。

しかし夫と出会い、「綺麗ならよくない?」「乾けばよくない?」のスタンスに触れ、趣味ぐらいの手軽さで家事をするようになってから、ようやく母のイライラから解放されたと感じた

家事がイライラするものではないと知ったのはそこからだ。

 

趣味として炊事をやる

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炊事は一番苦手な家事だ。

※※※

実際には、炊事が嫌いだったのではなく、文句を言いながら手の込んだ食事を出す母が嫌いだったのだと思う。手伝おうとすると、すぐに口を出し、「なんでできないの?」と言わんばかりに苛立つ母の姿が。

※※※

わたしは夫と暮らすようになってからも炊事が苦手で、やりがいを感じられずにいる。

台所に立つ楽しさを見いだせなさすぎて、食への関心が異様に低いことがある。食への関心が低くなると、自分の食生活が適当になってしまうので、このことについてはいまだに夫に叱られる。

だが、夫が料理好きなおかげで、やってもやらんでもいいスタンスで炊事に向き合うことができている

夫としては「たまにはわたしの手料理が食べたい」っぽいのだが、だいぶ気分が上がらないとできない。ただ、夫が理解してくれているので、いわゆる一般家庭に比べると炊事稼働率は低めだが、台所に立ちたくないほど嫌いな家事にはならずに済んでいる。

「これは趣味だ」「気持ちを豊かにしたいときにやればいいものだ」そう思えば、炊事も苦にならないと知った

母の「完璧」が怖くて炊事が苦手だったわたしは、「完璧である必要はない」を自分に言い聞かせるために、1人で食事をするときは、野菜を手でちぎり、その野菜をうどんやパスタなどと一緒に茹で、まとめて食べるというものぐさ自炊をしている。

さすがにズボラ過ぎて時々夫が引いちゃうので、1人の食事限定だけどね。

 

趣味として洗濯をする

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洗濯は割と好き。

※※※

再び母の話で申し訳ないが、母の作り出した家事のルールからいち早く抜け出せたのが洗濯物だ。

タオルはこの物干しに、下着はこの物干しに、シャツは必ず一番上のボタンを止めること、物干しに干す順番はこれで…と決まっていた母の洗濯。

※※※

一人暮らしをはじめ、夫と出会い、「乾けばよくない?」というスタンスに触れたのが大きかった

今では干すスペースがもったいないからと、タオルをちゃんと広げずに干したり(タオルの一角を摘まんで干す)、靴下を重ねて干したり(1枚1枚挟むのではなく、1足1セットで干す)している。

あの頃の母が見たら、その場で直される干し方だ実際、わたしが洗濯物を一緒に干していたとき、「干し方」が気に入らなかったらしく「干し直された」ことがある

とはいえ、わたしも母から完璧主義な部分を受け継いでいるため、若干こだわりが出てしまう。わかるよ、母の気持ち。タオルはタオルで揃えたくなる気持ちがね。

でも、完璧主義なこだわりを大事にしたいときは1人でやると決めている。誰にも邪魔されないし、わたしも誰かに文句を言う必要がないのだから。

そして夫と一緒に洗濯するときには、夫の「乾けばよくない?」スタンスを大事にしようと考えているので、こだわりが崩されても、癇癪を起こしたりはしない。

 

趣味として掃除をする

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掃除にもトラウマ的な思い出がある。

※※※

わたしは土曜日と日曜日が大の苦手だ。母が朝食後に「さっさと片付けて」「さっさと掃除を手伝って」とイライラする姿を毎週見てきたから。土曜日と日曜日といえば、母がイライラしながら父とわたしを急かす曜日だった。

「休日ぐらい手伝ってもいいんじゃ」と思う方もいるだろうが、母が出すイライラに怯えながらやる掃除は本当に苦痛だったのだ。しかも母は平日家にいるときは、必ず毎朝掃除をする。ほぼ毎日掃除と片付けをしているので、もうすでに気になる汚れはないのである。

母は「ちょっとぐらい汚くてもよくない?」「汚いって思ってから掃除しよ」が許されない人だった。

「清潔でいるのが好きだから」とポジティブに掃除に向き合ってくれていれば、わたしだって「誇り」に思えたのだが、掃除をしているときの母はいつもイライラしており、「あんたたちのためにやっているんだ」「だから手伝え」というスタンスに感じられ、とても苦痛だった。

加えて、わたしは大きい音が苦手である。掃除機の音と母のイライラが混ざるので、休日に行われる掃除は地獄のイベントだった。

※※※

今のわたしはクイックルワイパーを愛用している。

掃除機の音が苦手なわたしにとって、音の出ないクイックルワイパーはありがたい存在。汚れが目に見えるのも楽しい。

掃除機だと、ゴミの溜まったフィルターを捨てるために手をつっこみ、手を汚す羽目になったりするのだが、クイックルワイパーなら折り込んだ端っこをつまめば取り外せるのでそこまで汚れも気にならない。

もう1つ愛用しているのがコロコロクイックルワイパーでは掃除できないカーペットや布団の上などを綺麗にすることができるから好き。

もちろん、すべての汚れがとりきれていないことぐらい分かっているし、掃除機には掃除機の利点があるだろうし、母があれだけ綺麗に掃除し続けていたのも理由があるのだろう。

でも「やってもやらんでも死なない。でも、やったら気持ちがいい」ぐらいの気持ちで取り組まないと、嫌だった母親の苛立ちを思い出す羽目になる

だから毎日は絶対にやらない

掃除の頻度は「あ、汚ねえな」と思ったとき、またはゴミをスルーッと取り除いてスッキリしたい気分になったときだけ行うことにしている。

 

「家事 言わないとやらない」問題について

「家事」といえば「家事 言わないとやらない」問題が浮かぶ。母も多分、父とわたしに悩んでいたのだと思う。言わないとやらないことに、ものすごく苛立っていたのだと思う。

少し前、わたしも悩んでしまったことがある。

休日に出かける用事があったわたしは、家事をすることなく家を出た。その日、夫は家で休んでいた。帰ってきたとき、溜まっている洗濯物に手をつけられていなかったのを見て、少し「残念だな」と感じた。

でも彼からしてみれば、「頼まれてもいないことにがっかりされても困る」である

わたしと夫の家事に対する意識が違うのは当たり前のことだし、勝手に期待されても困るのは誰だって同じはずだ。「夫婦」や「家族」であっても、そこにいるのは「考え方の違う人」だ

目の前にいる相手に何も言わず期待するだけでは埒が明かない。「言わないとやらない」に不満を抱えるぐらいなら、「溜まってる洗濯物干しといてー」と一言伝えてやってもらえばいいだけの話だ。

 

この問題の解決策については、以下の記事がめちゃくちゃタメになるので気になる方はぜひ読んでいただきたい。

president.jp

 

手軽にやろう、家事は

かつてのわたしにとって、炊事、洗濯、掃除は「家事」ではなく、「母のイライラを抑えるためのもの」だった

母の顔色を伺いながらやるものであり、それ自体に価値を見出せないどころか、拒絶したくて仕方なかった。「やらなきゃいけない」が染み付いて、体が勝手に動いていた。それが当然だと思っていて、夫や交際していた男性に強要していた恥ずかしい過去もある。

でも今は、必ずやらなければならないもの「ではない」と知った

もちろん、家事にはポジティブな面がたくさんある。掃除や洗濯のおかげで清潔を保てるし、炊事に向き合えば健康的な食生活を意識することもできるだろう。

ただ、不平不満を撒き散らしながらやるぐらいなら、やらないのも一つの選択だ

わたしには「この選択肢を母に伝えるべきだった」という後悔がある。「あなたにイライラを向けられるのが嫌いだった」と伝えるべきだった。言えたらもう少し、母が好きになれたと思うし、母に優しくできたと思う。

 

もちろん「家事を手軽にやる」に行き着けたのは、「死ななきゃよくない?」タイプの夫のおかげでもある。彼はすごい。炊事、洗濯、掃除が滞っていても、さほど気にしない。『ぼのぼの』に出てくる名言(↓)通りの人である。

「後でこまることをなんで今こまるわけ?」

「後でこまるんだったら後でこまればいいじゃねえか。なんで今こまるんだよ」

家事って、肩の力を抜いて「死ななきゃよくない?」くらいの気持ちで捉えていいものなのかもしれない

では。

 

◆本日のおすすめ◆

「自発的にやる家事」と言っても過言ではない。ドライシートにゴミがいっぱいくっつくの、本当に好き。ストレス解消法です。