生活が楽しめなくなったら立ち止まる。生活が楽しめるときは自信をもつ。

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久しぶりに、自分の「体と心」について書いてみる。

 

 

はじめに

最近のわたしは「生活できている」。

「そりゃ、みーんな生活してるよ!」と突っ込んでくる人もいるかもしれないが、本当に毎日が憂鬱で仕方なかったとき、自分の体も心もどうでもよくて、むしゃくしゃするような日々を送っていたとき、わたしは「生活できていなかった」。

「なーんでわたし、生きてるんだろう」みたいな考えが頭に浮かんだら、それは、割としっかり、心がまいっている証拠だと思う

 

生活が楽しめなくなったら立ち止まる

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本当にただの生活が、食って寝るの繰り返しが楽しめなくなってきたら、少し立ち止まることをおすすめしたい。

元々食って寝るが大して面白く感じない人もいると思うけど、そういう人は、「食って寝ることすらつらい」状態になったら、立ち止まるのに良いタイミングだと思う。

別に、日々を全力で楽しむべきだ!とは思わないけど、自分にとって普通であることが心地よくなくなったら「ん?おかしいぞ?」と思っていい。

だって、なんで、自分の人生なのに毎日「つらい」「苦しい」「悲しい」「いなくなりたい」だなんて思わなきゃいけないのさ

 

立ち止まったらどうするか①

生活がつらくなることは、あんまり心地よいことではないので、立ち止まることをおすすめしたいと書いた。が、立ち止まったらどうしたらいいのか。

これはわたしの場合だが、わたしはとりあえず「何もしない」

正直「何もしない」時間は退屈だし、むしろ不安がグルグル頭を巡りまくっちゃうときもあるから万人ウケはしないと思うが、ここで何か解決策を求めようと頑張ったところでどうせ疲れる。だから、わたしは意図的に「何もしない」。

とはいえ、本当に何もしないで、24時間呼吸するだけってのは、それはそれでつらいので、わたしは

  • できる限り仕事しない(〆切と要相談)
  • 体と心を休めることに努める(主に良質な睡眠)
  • 食べたいもの食べる(ジャンク飯でもOK。食べたいんだから)

など、欲に忠実な1日を過ごすことを意識している。本能重視というか、理性を一旦無視するというか。

 

立ち止まったらどうするか②

そんで、頑張って(?)「何もしない」を過ごすことで、ちょっとずつ頭が冷静さを取り戻したら

  • 何に不満を感じているか
  • 何をやりたくないのか
  • 何が嫌なのか

を考えるようにする。

ただし、不満ややりたくないことを想像して、「うあーイライラする!」って感情が復活しそうになった場合には、もう1回「何もしない」に戻る

生活、すなわち自分を取り戻すには、とにかく冷静さが大事。冷静さを失うようなら、冷静になるまで休むべき。

 

※なお、もしここで負のループから出られなかったり、感情が制御できなかったり、あからさまに心が大ピンチの場合には、心療内科や専門機関のカウンセリングに頼ってほしい。あの人たち、プロですから。「心を病む」はほんと「風邪を引く」と一緒なんでね。自分で治せないときは医療機関を頼るのは普通のことだよ。

 

立ち止まったらどうするか③

冷静さを取り戻した後に大事なのは、自分が抱えている悩みを解消すること。

つったって、我々は社会的な生き物なので、悩みの原因が他人にあるなんてことも。でも、相手を変えることはできない。世の中には、こちらがびっくりするほど「悪意」でできてる人もいるようだし(もちろんわたしから見て「悪意のある人」は、自分のことを「悪意のある人」だなんて思ってないこと多々あり)、そういうときには、根本的な解決は期待できない。

けど、「まあ、でも、自分の生活にこいつぁ関係ねえんだよなあ」と思うことはできるし、悩みの存在を忘れられるほど楽しい出来事で「中和」することはできる

冷静なら

だから、まずは「自分で自分を納得させられるだけ心を落ち着かせる」が大事なのよね。それが終わって心が落ち着いたら、自分がどうしたいか考える。そこで得られた正直な気持ちを大事にしつつ、生活に戻る。

案外、頭が冷静さを取り戻せば、ほんっとに些細な出来事で「ああ、いいなあ」って思えるよ。

 

生活が楽しめるときは自信をもつ

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わたしは8月はじめに引っ越した。環境が変わったことで、生活にストレスを抱えていたのだけれど、1ヶ月経ったらさすがに慣れ始めた。

で、つい先日、ほんと、ほんとうにくだらないかもしれないけど、その土地にある3つのスーパーマーケットを

  • もやしとまいたけ(夫婦の大好物)ならA店
  • 日曜日の特売が最高にいいのがB店
  • 肉類のまとめ買いならC店

って使い分けられるようになって、それに対して「やったー手頃に買えるぞー」と思ったと同時に、ふと「ああ、わたし、めっちゃ普通に生活できてる」と思った。 

少し前までは「休むこと」に罪悪感がつきまとっていたけど、今はむしろ「休まないと動けないぞ!」という実は当たり前のことを、当たり前に考えられるようになった。

いわゆる規則正しい生活を送れているのだ。仕事もしている、運動もしている、自炊もしている、きちんと夜眠れている。本来、これってフッツーのことのはずなんだけどね。

ただ、人生で一度でも「なーんでわたし、生きてるんだろう」的なことを考えてしまったことがある人は、日々が順調にいきすぎると、それはそれで不安になると思う

でも、そこは思いとどまって、普通に生きてることに自信をもってほしい

時々、「今の世の中は本来当たり前の生活すらできないのかも」と思う。人類が誕生したときから振り返ってみれば、世の中はよくなってるはずなんだけどね。でも日々目にするものってきな臭いものばっかりじゃん。だから当たり前が当たり前にできることがすごいっていう、わけのわかんないことが起きてる。

だけど、それを逆手にとって、普通に生きてることに自信がもてれば、生きるハードルがものすごく下がるんじゃないだろうか

生きるハードル下がるとラクよー

 

生活を、自分の体と心の具合の指標にすることをおすすめする

ほんと、体と心の調子が悪いときって、生活がおざなりになるものだ。わたしの場合、「人間の尊厳が失われる気がする・・・」って排泄だけはしっかりトイレに行ってやっていたけど、食事も雑、お風呂も全然入らんで、動かんで、寝てばっかで、泣いてばっかな日々を過ごしていたときがあった。

振り返ると、ほんとうにやばかった。

今は、そこから考えると驚くほど普通に生活している。朝ごはん食べて、仕事して、昼ごはん食べて、仕事とか家事とか趣味をやって、夜ごはん食べて、運動して、お風呂入って、寝てんだもんね。普通!

わたしは今後も

  • 生活が楽しめなくなったら立ち止まる
  • 生活が楽しめるときは自信をもつ

の気持ちで生きていこうと思った・・・という話。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

では。