こんにちは、齋藤吐夢です。
今回は家事問題によく挙がる(?)洗濯物を例に、私が考えている”夫婦の在り方”について書きます。
キレる妻という話題
ニュースの特集で「キレる妻に怯える夫」という内容を観ました。
細かいことでキレてくる妻に怯え、会社が終わってから4時間街で時間をつぶしてから帰る男性の姿がありました。
私は”夫婦”はあくまでも”他人”だと思っています。
私は正直、男性に同情しました。洗濯物のたたみ方や生活用品の置き場所がちょっと違うだけでキレる妻。もちろん男女逆も然り。しかし相手は他人なんですよ。
他人が自分の思い通りに動くわけなんてない。
多少の”妥協”がなければ、自分も相手も、他人との生活に疲れるだけだと思うのです。
我が家の洗濯物問題
「キレる妻」の話題を見て、私の考えている”夫婦の在り方”を書こうと思いました。なので今回は「洗濯物」をテーマに我が家の例を書きます。
私も一時期、「なんで理解してくれないの?」と夫に怒りまくっていた時期がありましたが、今は多少むかつくことがあっても「他人だから仕方がない」と思えるようになりました。
「仕方がない」という言葉に抵抗がある人もいるかもしれません。
でも、相手を心底憎むまで嫌になるより、相手と長く一緒にいるほうが幸せに思えるなら、何かを諦めることも必要だと思うのね。
私の”洗濯”への考え方
家事は「ついで仕事」だと思っています。
私は在宅ライターという仕事をしていて日中家にいますが、だからといって家事をパーフェクトにやることはありません。
汚れが気になったり、気分転換がてら、”ついでに”家事をするぐらい。
今回のテーマである「洗濯」の場合、夫の分の服も「自分のを洗うついで」という意識がありますし、「いつもご飯をまかせてるから」というお礼でしかありません。
家事に義務感なんてものはありません。
洗濯物がひっくり返っていても
なお夫の洗濯物は十中八九、靴下はひっくり返り、シャツの袖はひっくり返り、要は脱ぎ捨てたままの状態で洗濯機から現れます。
が、私はそれをほぼ直しません。
前までは直していました。それどころか、「ひっくり返してから洗濯機へ入れて」とか、そこら中に脱ぎ捨てられた洋服を「洗濯機へ入れろ!」と怒ったこともあります。
でも長年の一人暮らしで習慣化された、”彼にとってどうでもいい習慣”は直りません。
それどころか、私がひっくり返った洗濯物を直していることなんて知りません。気づきもしません。でも、それは当たり前のこと。
だって彼からしてみれば「ひっくり返った洗濯物問題」なんて”どうでもいい”んです。
イライラしているのは他人だけ
例え、私がひっくり返った靴下をそのまま干そうと、靴下がバラバラに干してあっても(黒色の靴下しかないので、どれが対になっているか分からないんです)、彼は文句を言ったことがありません。
ひっくり返っていれば、自分で直してから履きます。「あ、違う」と気づけば、特に何も言わず自分で対の靴下を探し、履き替えます。
彼にとって、脱ぎ捨てられた洗濯物もひっくり返った洗濯物も、”彼の”生活にとってはごく当たり前のものであり、それにイライラしているのは”私”だけなんです。
他人である私が、それを見てイライラしているだけであって、そのイライラを彼にぶつけたところで何の意味もないんですよ。
冒頭「キレる妻」のニュースを見たと言いましたが、キレる意味が分かりません。だって相手(夫)にとってあなた(妻)のルールなんて”どうでもいい”んです、他人なんだもの。
自分の思い通りにいくわけないんですよ、他人なんだから。
相手が望んでいるかどうかは
例えばこの洗濯物で、ひっくり返った靴下に対して彼が言及したら、私だって指摘されたのだから直します。でも彼は特に何も言いません。だから私も放置できます。
私だってイライラする事象はあります。私は、彼の脱ぎ散らかす癖にイライラします。
でも、私がそれを許せなくて足蹴にして、部屋の隅に積み重ねたところで、彼は「洗濯機へ入れといてよ」なんて言いません。
夫は自分の履ける靴下やシャツがなくなる前に、自分で気づいて洗濯機へ入れます。自分から洗濯機を回すこともあります。
”自分の”着るものが足りなくなるからです。
相手のためを思って何かをすることも大事ですが、相手がそれを本当に望んでいるかどうかは聞いてみないと分かりません。
「キレる妻」、きっと彼女は夫に対し、確固たる彼女の世界に従ってほしかったのでしょう。でもそれは不可能だと思う。
私の夫は「洗濯してくれてありがとう」とは思っていても、「洗濯物ひっくり返してくれてありがとう」とは思わないのでしょう。だからこそ、私が直さなくたって何も言わない。
そうなってくると、私が「ひっくり返してよ!」「脱ぎ散らかさないでよ!」と怒ること自体は非常に不毛なことであり、意味のないことだと分かります。
家事力なんてどうでもいい
ついでに言えば、男女ともに「家事力があるかどうか」なんて益々どうでもいい。
つい先日夫から「男は料理をできるべきか否か」的な話をされましたが、私はそんな価値どうでもいい。
相手も私も料理ができなくて、互いが互いにそれを良しとするのなら、それでいいじゃないですか。
夫は料理が好きですが、片付けはかなり後回しにします。私は料理はニガテで、片付けも好きではない。でも掃除・洗濯はこまめにやりたい。だから私達はうまくやっていける。
ただそれだけのこと、夫婦なんて。
私の両親の話
私の母はどちらかと言うと「キレる妻」タイプ。自分のつくりだす生活を大事にしていて、それを少しでもこねくりまわすとイラついていた。
それは私の父に対しても、娘である私に対しても。
私も母の琴線に触れてしまわないよう、正直かなり気を使ってた。
洗濯物のたたみ方や洗濯物を干す場所、決められたやり方でないと不機嫌になってしまう。だから手伝うこと自体、億劫になった時期もある。でも手伝わないとそれはそれでイラつかれる。
今だから言うけど正直嫌だった。
でも私は段々成長するにつれて、母の”窮屈さ”がかわいそうに思えてきた。こんなこと言われたくないだろうが、私はかわいそうだと思った。
父はだいぶのんびりとした人間だ。
何か彼女の中で問題が発生しても、それの何が問題なのか分からないのだと思う。
それが益々母をいらだたせるのだと思うが、それは母と父にとって、互いの”個”の中にある問題でしかないから解決のしようがない。
最近そんな母も、父のひっくり返った靴下をそのままたたむようになった。父は何も言わずそれを黙って履き、ひっくり返ったことに気づき、黙って元に戻して履いた。
母はそれを見て、「がっくりしたと同時にラクになった」と言う。
夫婦はあくまでも”他人”なのだから、所詮そんなもんだ、と今の私は思う。
「よかれと思って」なんて要らない
「キレる妻」はきっと彼女の中の生活ルールを、「よかれと思って」、彼のために始めたのかもしれない。こうやったら家事がやりやすくなるみたいな意識をしてみたりとかね。
でも「よかれと思って」は結局”自分”にしか意識が向いていないと思う。
時々「よかれと思って」が本当に助かることもあるけど、大抵「よかれと思って」が裏目に出ることが多い。今回の話題で言えば、自分ばっかりイライラしてしまうみたいに。
相手のためを思って、何か行動をしようとするなら、時には事前に要望を聞くことも大事だと思う。
「よかれと思って」やったことに、相手が一切価値を見いだしていなかったら、結構むなしいもんだぜ。
だから私は「洗濯物がひっくり返っていようと、直す”義務”なんてない」ってお話しようと思った。
求めている相手にやるのはアリだけど、別にそれを求めていない相手に与えて、そのうえ「礼を言え」なんて逆に傲慢だと思うのだよ。
では。
◆本日の一冊◆
男女の違いは、面白いんだよ?!