こんにちは、齋藤吐夢です。
出典元:映画「ナチュラルウーマン」 (@naturalwoman02) | Twitter
新宿に映画をよく観に行きます。ある日、TOHOシネマズ新宿に向かう途中、新宿シネマカリテの前を通ると、綺麗な女性の顔を見つけました。『ナチュラルウーマン』、それが映画のタイトルでした。
美しいタイトル、美しい映像とは裏腹に、LGBTQへの激しい偏見、LGBTQはまだまだ”マイノリティ”として扱われている、そんな現実を知りました。
ありのままの女性
(↑)シネマカリテにある記事スクラップに愛を感じる。
劇中、アレサ・フランクリンの歌う「You Make Me Feel Like)A Natural Woman」が流れ、耳にはっきりと「ナチュラルウーマン」という言葉が残り、とても印象的だった。
主人公マリーナは、”ありのままの姿”で日々を過ごしているだけなのに、彼女を取り巻く人々は、彼女に対して残酷だ。
結論から言うと、決して清々しい気持ちになれる映画ではない。
最愛の人の突然の死
主人公・マリーナはウエイトレスをしながらナイトクラブで歌う女性。年の離れた恋人オルランドと幸せに暮らしていたが、マリーナの誕生日に突然の病がオルランドを襲う。
オルランドは亡くなる。悲しみに暮れるマリーナの前に、次々と差別や偏見が襲いかかる。医者と警察から犯罪を疑われ、オルランドの親族からは葬列に参加することを拒否される。
最期のお別れを告げたいマリーナは、なんとかしてこの状況を乗り越えようとする。
主人公へ向けられる差別
マリーナへ向けられる差別と偏見は、正直胸糞悪いものばかりだ。
彼女が”法的に女性ではない”というだけで、どいつもこいつも彼女の存在自体を否定する。
私はLGBTQという言葉の広がりから、てっきりLGBTQへの理解が広がったと勘違いしていた。それは間違っていたことを思い知らされる。
きっとこの映画で描かれる差別や偏見のほうがマジョリティなのだ。
屈辱的な対応に歯を食いしばる
我ながら驚いたのだが、人々のマリーナへの屈辱的な対応に、私は映画鑑賞中ずっと歯を食いしばっていた。
彼女への差別・偏見は、”直接的な暴力”ではなくとも暴力と呼べる。
彼女へ偏見の目を向ける人たちは、そのことに気づかない。
罵詈雑言と呼んでもおかしくない言葉が吐かれる。どんどんと言葉尻が強くなっていき、彼女の心をズタズタにしていく。マリーナはそれをじっと耐えるしかない。それが悔しくて、劇中、私がずっと歯を食いしばっていた。
逆風を乗り越える清々しい話ではない
映画が終わった時「この映画はもっと広がるべきだ、評価されるべきだ」と思った。
「逆風を乗り越えた幸せなストーリー」に終わらなかったからだ。
「最愛の人に会いたい」という彼女の心は救われたのかもしれないが、それ以上に彼女に浴びせられた暴力は強く、彼女はこれからも、向かい風に立ち向かわなければならない。
乗り越える、という終わりは来ない気がする。
その現実に愕然とさせられる。ありのままの女性であるマリーナは、どんなシーンでも美しい。それは変わらない。
だけど、映画全体から滲み出るメッセージはあまりにも残酷で、物語の終わりを「ああ、良かったね」なんて軽々しく言えない。
性別がどうでもよくなる未来を
この映画を観て、早く「LGBTQ(性的マイノリティ)」なんて言葉がなくなり、性別なんてどうでもいい未来が来ればいいのに、と思った。
もちろんLGBTQというラベルのおかげで、自分の居場所がある人もいるだろう。ただ「男だから」「女だから」なんて言葉はもう要らない。
ただただ、人対人として向き合うことを世の中が受け入れられるようになればいいのに、と思った。
では。
◆本日の一本◆
劇中歌があまりにも素敵だったので、ぜひ聴いてね。