加害者も人間。『関心領域 The Zone of Interest』(2024年)

映画チラシ「関心領域」

さまざまな媒体で語られていることだと思うが、本作は直接的な加害シーンが映し出されることはない。暴力や殺戮が行われている「音」はする。何なら、この「音」に関しては、自然豊かな環境でごく当たり前のように耳に届く鳥のさえずりと同じくらい、主人公家族の日常に自然に溶け込んでいる。発砲音も悲鳴も聞こえ続けているが、主人公家族が特に気にも留めず生活を続けるのと同じように、観ている私も次第に慣れていってしまった。それが何より恐ろしかった。

アウシュビッツ強制収容所の所長一家が過ごす日常は、私たちの生活と何ら変わらない。YouTubeで公開されている特別映像の中で、俳優が語るものがあるが、そこで主人公ルドルフ・ヘスを演じたクリスティアン・フーデルは「彼が何を考えてるのか読み取れないはずだ。彼はいたって普通で、時には退屈な男に映る。加害者には見えない」と話す。実際、映画のワンシーンで、彼が娘を寝かしつけるシーンがあるが、家族思いの父親にしか見えない。加害者には見えない。けれど確かに彼はアウシュビッツの所長であり、物語の終わりにはアウシュビッツで起きた出来事をはっきりと思い起こさせる加害の言葉を述べる。しかしその口調も仕事に真面目な、彼個人の勤勉さがうかがえる口調であり、そのギャップに背筋が凍る。

主人公一家の暮らしは、現代でこの物語を鑑賞している私たちの価値観からすれば違和感しかない光景なのだが、それが「普通」だった過去が確かに存在していた。

もしかすると今だって、自らの価値観・倫理観に従い、対岸から見ると違和感しかないような「普通」の日常を送っている人がいるかもしれない。そして、それは「私」かもしれない、そんな注意を促す映画だったように思う。

もう1つの特別映像で、監督ジョナサン・グレイザーはこう語っている。

「この話を現在進行形で伝えるためには、できる限り真実に近づくことが大切だった。観客には彼らに自分の姿を重ねて見てもらいたい」

「大量虐殺を行う彼らを化け物と責めるのは簡単だ。『私は違う』と。でも主人公の2人も最初は夢を語り合う恋人同士だった。彼らが望むものは私たちと変わらない。彼らに自分を投影することがこの作品の狙いでもあった」

定点カメラで撮影された物語も心に残っているが、オープニングや劇中、そしてエンディングでの不安を煽るような音、音楽、一色だけの画面もまた印象的だった。あれは不安を覚えさせることで、ヘス一家同様、あの「普通」に慣れ始めてきた観客を叩き起こすものだったのではないかと考えている。退屈を覚えるな、眠気を感じるな、目を背けるな、といった具合に。

主人公ルドルフ・ヘス所長に関するシーンで、忘れられないのは2つ。1つは、アウシュビッツ内で働く所長を下からあおるように映し出した映像。観客に殺戮の場面は見えない。けれどヘスの目には確実に殺戮が映っている。その前後に描かれる彼の何気ない日常には、毎日人が死んでいる事実が感じられない。あのシーンを思い返す度、ゾッとしている。2つ目は物語終盤の嘔吐と「現代」の差し込み方。同じく加害者を主軸にしたドキュメンタリー映画アクト・オブ・キリング』を思い出した。「現代」の差し込み方に胸がきゅっとなった。

忘れられるわけがないですね、この映画。

 

youtu.be

 

youtu.be