出典元:映画『サスペリア』公式サイト
リメイク版『サスペリア』を観てきた。
旧・サスペリアをうまく踏襲している部分もあれば、全くの別物に感じられる部分もある。賛否両論の映画だということにも合点がいく。
ただし、めっちゃくちゃ本編が長く、終始重苦しい空気が流れっぱなしなので、息が詰まって疲れてしまう人もいるだろう。万人ウケする映画ではない。個人的には面白かったが。
※ネタバレあり。語りたいダコタ・ジョンソンとティルダ・スウィントンの表情変化は完全にストーリーをネタバレしてしまうものだ。ネタバレNGな人は、ぜひ鑑賞後に読みにきていただけると嬉しい。
サスペリア
あらすじ
1977年、ベルリンの世界的舞踊団「マルコス・ダンス・カンパニー」に入団するため、米ボストンからやってきたスージー・バニヨンは、オーディションでカリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、すぐに大きな役を得る。しかし、マダム直々のレッスンを受ける彼女の周囲では不可解な出来事が続発し、ダンサーたちが次々と謎の失踪を遂げていく。
女優2人の表情に惚れる
語りたい女優2人の話をするために、早々にネタバレをする。今作は「魔女VS魔女」の物語だ。カルト的人気を誇る旧『サスペリア』では、劇終盤にはじめて「魔女」という単語が登場するが、今作は割と序盤で魔女の存在が明かされる。
「マルコス・ダンス・カンパニー」は表向きは世界的舞踏団だが、裏では魔女たちが自身らを生かし続けるための儀式を行なっていた。若いダンサーたちは、魔女たちに必要な儀式の材料でしかないのだ。
そんな折、アメリカからやってきたスージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)。はじめのうちは、純粋にダンスが好きな少女の雰囲気を漂わせる彼女。若き才能にマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)は注目し、強く期待する。
出典元:ダコタ・ジョンソン|キャスト|映画『サスペリア』公式サイト
映画序盤から中盤にかけては、マダム・ブランとスージーの関係性は「教師と生徒」であり、マダム・ブランはスージーを特別視しているように見える。
マダム・ブランたちは、魔女軍団のトップであるマザー・マルコス完全復活のために才能あるダンサーを求めている。魔女たちにとってスージーはマザー・マルコスの新しい体(器と表現される)でしかない。
それを理解した上で、マダム・ブランはスージーを見つめる。表向きでは彼女のダンスの才能を認め、裏では彼女が最高の器であることを認識しているかのようだ。
だが映画が終わりに近づくにつれて、マダム・ブランのスージーを見る表情に変化が生じていく。
マダム・ブランがスージーに対して「畏怖の念」を抱くような表情に変わっていくのだ。
出典元:ティルダ・スウィントン|キャスト|映画『サスペリア』公式サイト
ティルダ・スウィントンは終始ものすごく魔女の雰囲気を漂わせている。目線だけで人を操るような演出もあり、強大な力があることがすんなりと受け入れられるキャラクターだ。そんな彼女のダコタ・ジョンソンを見つめる表情が、徐々に変わっていく。
知らぬ間に、上下関係が逆転する。
マダム・ブランがスージーに抱き始めた畏怖の念は正しかった。『サスペリア』の世界には、3人の強大な力を持った魔女が存在するのだが、そのうちの1人「嘆きの母」という死を司る魔女の正体がスージーだった。
彼女自身も、自身が「嘆きの母」だということに気がついていないようだったが、劇中挿入される彼女の断片的な過去から、彼女が恐ろしい存在だということがわかるようになっている。
ダコタ・ジョンソンの表情から時折溢れ出る妖艶な母性は、彼女こそが恐ろしい魔女だということを示唆するものだ。彼女の前では、マダム・ブランも力の弱い魔女なのかもしれない。
「教師と生徒」だったはずの2人は、徐々に「強大な魔女とその存在に気づいた魔女」の2人へと変わる。ティルダの顔が徐々にこわばっていくのが見物だ。
教師陣の気味の悪さ
ダコタ・ジョンソンの妖艶さを知らしめるラストシーンについて語る前に、教師陣から醸し出される気味の悪さについて語りたい。
彼女たちの高笑いはかなり耳につく。「極音上映」の映画館で見たのも原因かもしれないが、彼女たちの高笑いが背後から聞こえるのは相当気味が悪い。
失踪事件を調べるためにやってきた刑事たちの動きを封じ、身動きが取れない彼らの下半身をむき出しにした挙句、下品に笑うシーンは本当に気持ちが悪かった(褒めてる)。
魔女たちがレストランへ行き、大声で笑いながら食事をするシーンでは、一見おばさんたちが楽しそうに夕飯を食べているように見えるのだが、会話の内容を想像するとぐっと気味が悪くなるのが面白い。
今作を見ると、おばさんの高笑いが怖く感じるようになるだろう・・・。
ラストシーンの無双感
気味の悪い教師陣も、自身が「嘆きの母」だと気づいたスージーには敵わない。ラストシーン、スージーは自身を器にしようとした面々に対して報復を開始する。これまた気味の悪い、全身真っ黒な使い魔のようなものを登場させると、魔女たちを爆散させる。
そう、爆散させるのだ。
このラストシーンの無双感は、それまでの長く、重苦しい映画の雰囲気を一気に動かす力強いものだ。黒い化け物がマザー・マルコス復活に票を投じた魔女たちを指さすと、指さされた魔女たちの頭が爆発する。
誰一人、スージーが命じる「死」から逃れることはできず、スージーに選定されたものはことごとく死ぬ。
救いの死もある。魔女たちの企みに気づき逃げ出したものの捕らえられてしまった少女パトリシアやオルガ、サラにスージーは優しく問いかける。
「あなたの望みは?」
3人の少女は「死にたい」と望む。そんな彼女たちに優しくキスをするスージー。3人の体からは力が抜け、静かに死んでいく。
死を司る魔女によりとにかく人が死んでいくこのラストシーンは、恐ろしくも美しく、頭から離れない。爆散する死と静かな死の対比が、かえってスージーの恐ろしさを際立たせるように思える。
トム・ヨークの楽曲も◎
トム・ヨークの楽曲も耳に残って心地よかった。悲しさと懐かしさと不安と恐ろしさが入り混じったような、新『サスペリア』の世界観によく合う楽曲だった。
映画全体としては、思い返すとやっぱり尺が長すぎるし、「えーわからん、どういう意味?!」ってシーンがなかったわけでもないし、全員に「絶対観て!」と訴えるには退屈かもしれない・・・と思っている。
が、『君の名前で僕を呼んで』で一躍有名になったルカ・グァダニーノ監督のダリオ・アルジェント(旧『サスペリア』の監督)愛が存分に伝わる、B級映画風のカメラワークは面白かったし、とにかく綺麗で気持ち悪くて怖い映画だった。
賛否両論あるだろうが、わたしは好きだ、新旧ともに。
では。
◆本日のおすすめ◆
鑑賞後、トム・ヨークに浸りたくなる。
・・・Tシャツかっこよすぎないか?
旧作は旧作でものすごくおすすめ。