大好きな人が亡くなったことを知った。

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 大好きなYouTuberさんが亡くなった。

 Twitterのトレンドにその事実が流れてきたとき、一瞬何がなんだか分からなくなった。信じられなかった。突然訪れる死への恐怖を感じた。

 わたしはがんをやってから、心が不健康になってから、死ぬことに対してかなり達観してきたほうだ。

 

 でも、この出来事は、結構キツイ。

 

 唐突にやってくる死の報道を目にすると、いつやってくるかわからない死に対する恐怖がこみあげる。

 いつか電車内のニュースで知った、観光バスの運転手の死。彼は、トラックから脱落したタイヤが直撃して亡くなった。実況見分によれば彼は即死だったが、ブレーキを踏み、パーキングブレーキも引いていたという。彼がブレーキを踏まなかったら、バスは暴走し、他車両を巻き込んだ大事故になっていたかもしれない。路肩に激突すれば、バスが横転してもっと悲惨な事故になっていたかもしれない。

 フジファブリックの志村さんが亡くなったという報道を目にしたときも、LINKIN PARKチェスター・ベニントンが亡くなったという報道を目にしたときも、大阪で起きた地震で小学生の女の子がブロック塀の下敷きになって亡くなった報道を目にしたときも、大学生時代、東日本大震災に遭って、部員の安否を確認しながら津波原発事故の報道を目にしたときも。

 「いつか必ず死ぬこと」と「いつか必ず死ぬけど、いつ死ぬのかは誰にも分からないこと」を同時に知って、ものすごく怯えた。

 

 今回の出来事を知ったとき、まーっすぐ伸びた道がプツンと切れたようなイメージが浮かんで、悲しくて、悔しくて、しんどくて、キツくて仕方なかった。

 病気になって徐々に死に近づいていくのも相当しんどいということは、母の死で嫌という程経験している。しかしプツンと切れてしまうような死は、事故や殺人で起こる死は、あまりにも唐突すぎてすんなりと受け入れられない。

 受け入れるのは簡単じゃない。

 

 とはいえ、今のわたしにできることは限られている。

 「生きる」ことだけだ。

 わたしは生きている。となれば、訪れる死まで生きねばならない。生きること以外、わたしにできることはない。だから悲しいながらも生きるしかない。わたしなりの弔いだ。生きてるから、生きるしかない。

 

 わたしはいちファンでしかないから、彼の仲間たちが感じている大きすぎる悲しみをどうすることもできない。しかし「だからこそやるべきことがある」と思い、昨晩はずっと彼の動画を見ていた。

 彼が出演する動画をずっと見ていた。

 もう彼のワチャワチャ感を見ることは叶わないけれど、彼のワチャワチャ感を見たくなったら動画で見れるんだなあと思った。

 

 わたしが「見たい」と思う限り、彼の存在はあり続けるのだと知った。

 

 死ぬのが怖くなればなるほど、そして周りの大切な人が死ぬかもしれない現実に怯えれば怯えるほど、生きねばと強く思う。いつ夫が家族が友人が、そして自分が死ぬかなんて誰にも分からないから、生きねばならん。

 

 ご冥福をお祈りします。