5年前、私は以下のような記事を書いた。
冒頭の“紙媒体でも電子版でもどちらでも良いので、世の中に対して積極的に関心を持つことがとても大事だと思っています”の一文に、我ながら「こいつ偉そうだな〜」と思ったものの、あいかわらず新聞スクラップは「いいもん」だ。
上記記事を書いた後、一時期、夫婦ともに新聞を読む余裕がなく、紙面版の購読を停止した。その間の情報源はインターネット上での閲覧や経済報道番組の録画だったのだが、最近、紙面版の購読を再開し、「やっぱり新聞(紙面版)はいいぜ」と感じている。
で、気になる記事の中で、読み返したくなるような、覚えておきたいと思えるような記事を見つけたら、ハサミで切り取り、ノートに貼り付けることをコツコツ続けている。
新聞スクラップ、しかもハサミで切ってノートに貼るというアナログな手法を利用する場合、手間と時間がかかる。そのため、時間が惜しい人にはおすすめできない。
ただ、この、人によってはムダな時間が、私にとっては思考を整理できる貴重な時間だったりするので、私はこれからも紙面版を取り寄せ、読むための時間を設けて、アナログな手法でスクラップを進めていこうと考えている。
ここまで(↑)は「私が好き好んで、ある人から見ればムダなことをしているよ」という話だったが、なぜ新聞スクラップがおすすめかというと、見える化された自分の関心事を振り返りやすいからである。
たとえば、私がスクラップ帳に残した記事をジャンル別に見てみると
などにまとめられる。
私は日本経済新聞を購読しているが、そのきっかけは数年前から始めた株式投資にある。だからこそ、投資関連の記事を見つけるとスクラップする率が高い。環境関連は学生時代から変わらず興味を持ち続けている分野だ。がんや認知症、緩和ケアなどの話題は、これらの病気、医療行為を経験したことから、発展を願って、最新研究の記事を見つけると読み込まずにはいられない。デジタル、教育も同様に関心が強い。
そして、そんな風にして見える化された自分の興味関心を切り貼りする行為を積み重ねていくうちに、過去の情報とつながる新しい情報と出会うことがある。そんなときにスクラップ帳が手元にあると、過去の事象をスムーズに振り返ることができる。
小学校から高校生を卒業するまで「歴史」への関心が引くほど低かった私だが、過去と今を行ったり来たりする行為が目の前の出来事ヘの理解を深めるのにものすごく役に立つ、ということを、この歳になってようやく理解できるようになった。
復習の重要性に関する一次情報(論文等)をすぐに見つけることができなかったので、力説するには非常に説得力のない状態だが、自身の経験した限りでは、スクラップ帳であっても書籍であっても英単語帳であっても、何度も何度も読み返すことで「ああ、こういうことか!やっとわかったわ」みたいな体験に出くわすことができる。これが「理解が深まる」だと、私は、認識している。
ちなみに、5年前の私は、“就活や自己啓発に役立つ”としておすすめしている。
実際、就職活動や自己啓発に役立つのは事実だが、そのためだけにやるのは正直おすすめしない。多分モチベーションがあがらない。「死ぬまで勉強は続くもんだ」みたいな思想が根幹にないと、多分この行為は大して面白くない。
それより、純粋な「知りたい」と、知ったことを「振り返りたい」「何度でも読み返したい」、新しいことへの「理解を深めたい」を大事にすることが大事だと考える。
それから、情報を得るのに新聞という媒体を選び直したのはフィルターバブル対策でもある。
フィルターバブル
インターネットで、利用者が好ましいと思う情報ばかりが選択的に提示されることにより、思想的に社会から孤立するさまを表す語。
選択的に提示されないために、インターネットではなく新聞を選んだわけだが、もちろん新聞だって偏りがある。過去にも紹介した書籍、池上彰著『池上彰の新聞勉強術』(文藝春秋、2011年)では、2社以上の新聞を読むことがおすすめされている。理由は1つの情報をさまざまな視点で見るためだ。
だから、まずは読み手側が「自分はフィルターバブルにさらされている」という意識を持つことも大事だと考える。
そう考えると、私が新聞スクラップを再開したのは、インターネット側から情報が選択的に提示されるのを新聞という媒体を読むことで防ぎ、そのうえで、知りたい情報を自分から選択したかったから、ともいえる。