東京レインボープライドへ行った。LGBTの祭典の趣旨が読みとれなくて、落ち込みながら帰った。

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 2019年4月28日〜29日に開催されている東京レインボープライドへ行った。会場を彩るレインボーカラーが美しかったのだが、「LGBTの祭典」である今回のイベントの趣旨を読み取ることができず、しょんぼりしながら帰った・・・という話。

 

 

東京レインボープライドで落ち込んだこと

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ブースは見ていて面白いのだが・・・

 4月28日には、渋谷の街を練り歩く「パレード」も開催されていたのだが、今回わたしは代々木公園で開催されているイベントに足を運んだ。

 公式HPを見ていただくとわかるように、NPO法人や企業など、さまざまな団体がブースを出展している。ブースを端から端まで見てまわったが、鮮やかなレインボーカラーで彩られたブースは目に留まる。

 ・・・のだが、ブースのほとんどが

  • 自社製品を販売
  • グッズを配布
  • フォトブースを提供

しているブースばかりだった印象だ。

※『東京レインボープライド2019』は、LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティの存在を社会に広め、「"性"と"生"の多様性」を祝福するイベントです。

引用元:ABOUT TRP2019 | 東京レインボープライド

 “LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティの存在を社会に広め、「"性"と"生"の多様性」を祝福するイベント"とあるが、わたしの目には、ただレインボーカラーに彩られただけの商品、グッズが並べられ、販売されているようにしか見えなかった

 多分、そんなわけはないのだろう。

 そんなわけはないのだ、と信じたい。

 でも、「“社会に広め”、“祝福する”には、あまりにもお祭り気分すぎるのではないか」と感じたのだ

 あるフォトブースには、レインボーに彩られたウエディングケーキが置かれていた。ケーキ入刀の瞬間を演出できるそのブースには、まだ意味があるような気がする。しかしド派手な王座を模したもの、唇のカタチのフレーム、レインボーカラーの背景、フォトプロップスなどに、“社会に広め”の要素があったのだろうか。

 湾曲したLGBTへのイメージ(例:LGBTにはドラァグクイーンのような派手な人ばかり)を塗ったくっている可能性はないだろうか

 

派手・奇抜・レインボーの印象「しか」ないのが不安だった

 確かに、東京レインボープライドで度々見かけるドラァグクイーンや美しい人々に見惚れることはあった。

 だが、派手で奇抜でレインボーな印象「しか」ないイベントでいいのだろうか

 全員が全員、派手で奇抜、レインボーカラーを身につけた人なわけじゃない。全員が全員、高らかに「I HAVE PRIDE」を言えるわけじゃない。例えばわたしは、イベントに足を運ぶ前日にこんなツイートをした。

 わたしの抱えている性に関する悩みは非常に流動的で、「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」とラベリングすることはできない(そもそも性的指向の話は、簡単にラベリングできるものではない)。

 例えばわたしが自分の性的指向、恋愛指向を説明するとすれば「おっぱいやおしりで女性だと識別されることに抵抗があり、女性らしさについて褒められると『女性である』ラベルに縛られているような気がして悲しくなる。が、生物学的に女性であることは認めている。男性骨格に似た顎まわりや肩も愛している。男性が好き。男性らしさも好き。ただしFtMには向かない(MtFの男性的な部分に惹かれてしまうことが、相手を傷つけるのではないか、というのが悩み)」といった感じ。

↓この件について詳しくは以下の記事をぜひ。

www.tomutomu-corp.com

 はっきりラベリングすることを迫られれば、「クィア」や「クエスチョニング」なんじゃないかなと思う。思うけど、常にモヤモヤしている。なので東京レインボープライドに行くことで「もしかしたらこのモヤモヤを晴らすヒントがあるかも」と期待していた。

 が、東京レインボープライドはお祭りだった。先で述べたとおり、人々はレインボーカラーで彩られたブースで写真を撮ったり、レインボーカラーの商品を購入したりしている。

 モヤモヤが晴らされることはなかった。

 東京レインボープライドに行ってよりモヤモヤしてしまったわたしの心に、とある人が書いた記事が響いた。

たくさんの人が参加しているということは、良くも悪くも関心を持っている人が多いということだけど、その中でどのくらいの人が本当に理解してくれてるかっていうのはまだまだ疑問がのこってしまうわ。

パレードに参加しているセクマイの人たちの何割かの人が、半裸だったり奇抜な衣装に身をつつんでいるじゃない?
もちろん、そういう自分を表現して良いイベントなんだから構わないと思うんだけど、結局そういう人が人一倍目立って、セクマイの代表って感じに見えちゃうのかなぁ~って思うの。

そういう人もいるし、見た目も中身もマジョリティの人たちと変わらないっていうセクマイの人もたくさんいるのよ。
だから、そこを間違って認識しないで欲しいなぁ~って思うの。

引用元:東京レインボープライド2017 - COLORUS FUN

 LGBTウェブメディア『COLORUS FUN』でoracatという方が書いた記事。文中には「マイノリティじゃない人が参加することで、マイノリティの人が参加しにくくなるのでは」という一文もあった。

 今回わたしは東京レインボープライドの趣旨が読み取れなかった。東京レインボープライドに参加して、よりいっそうモヤモヤしてしまった。

 むしろ、わたしが抱える性的指向・恋愛指向の悩みそのものが、性的差別そのものなんじゃないかと自己嫌悪に陥るほどだった

 わたしは落ち込みながら帰った。

 

多様性の浸透と無意識の差別

 今回わたしが感じたことは、多様性が認められている証拠なのかもしれない。それは3月に参加した『東京レインボーマラソン』で思ったことと同じ。

www.tomutomu-corp.com

 そしてその記事でも書いた、LGBTイベントがこうあってほしかった」というわたしの思いが、LGBTに対する差別と偏見になる恐ろしさ

 

 簡単にラベリングできない性的指向に悩むわたし自身が、無意識の差別を続けているのではないかという恐ろしさ。

 

 東京レインボープライドに足を運んで、少し救われたことがあったとすれば、いくつかのブースにわたしの知りたい情報があったことだ。「HIV」に関するコーナーや職場における向き合い方など、勉強になる出会いも少なからずあった。

 特に「アライ(Ally, Allies)」という言葉を知れたことは大きい。

Ally(アライ)とは、LGBTなど、困り事や問題に直面している人々と連携しながら、これを自分(たち)の問題として主体的に取り組む人を指す言葉です。

「自分自身はLGBTのいずれでもない」という人々が「おせっかい」とは異なる、自分のスタンスを表明するために使われてきた言葉です。

引用元:特定非営利活動法人 虹色ダイバーシティ、『職場におけるLGBT・SOGI入門 』

 しかし、上記に“「おせっかい」とは異なる”と書かれていても、わたしが「アライ」を宣言し、このような記事を書くこと自体が「無意識の差別」としてつながったら?それを考えたら、この先何もできなくなるなと思って落ち込んだ。

 さすがに、これは、意見を発信することへの怯えが過ぎるだろうが。

 

「あるがまま」なんて言わなくても

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 東京レインボープライドで受け取った袋には、「あるがままを誇ろう」「らしく、楽しく、ほこらしく」とあった。そう、本来であれば、東京レインボープライドへ行った感想が何であれ、自分の「あるがまま」に「ほこらしく」していればオールOKだ。

 しかし、イベントへ行ったことで、よりいっそう悩むことになるとは。

 でも、この悩みを抱えたことで、死ぬほどつらいわけではない。性別・人種・民族・肌の色・障がいの有無に対する差別・偏見の問題が完全に解決するには、まだまだ時間がかかるだろうが、「悩む」側にいられるのは全然いい

 「無関心」「差別・偏見で人を傷つける側にまわる」よりは全然いい。

 

 いつか「あるがまま」なんて言わなくても、全ての人があるがままでいられる日々が続きますように。

 

 では。

 

◆本日のおすすめ◆

いろんな人に読んでほしい1冊。