【読書録】遠藤周作『海と毒薬』(新潮文庫、1960年)

 

海と毒薬(新潮文庫) 

私は医療従事者ではないから、手術や生体実験の場に立ったことはもちろんない。けれど、この物語の主軸となるある人に施された手術と生体実験の描写があまりにも生々しくて、グロテスクな描写の多いホラー映画なんかを見るよりずっと具合が悪くなった。

 

遠藤周作『海と毒薬』は、中学生の頃に愛読していた国語便覧(国語の授業の補助教材として配られていたが、他の授業中も読んでいた)に掲載されていた。当時の私は『海と毒薬』に対して「読んでみたい」という純粋な興味と「読みにくそう」という抵抗感を抱いており、結局、「読みにくそう」が勝ってしまったこと、当時、他の作家の小説にハマっていたこともあり、読めずじまいにいた。

そこから時間が経ち、学生時代のように読書にだけ集中してみたいという欲が生まれ、ようやく手に取ることができた。

 

『海と毒薬』が、太平洋戦争中の米兵捕虜の生体解剖事件を小説化したものである、ということは薄らぼんやりと知っていたが、まず、その独特な作品構成に驚かされた。

物語冒頭は、事件から時間が経ち、事件とは直接関わりのない人物が、事件関係者と出会うところから始まる。そこから時間が遡り、事件に携わった実習生2人、看護士などの視点から当時の状況が語られる。

また面白いのが、いくら描写が生々しいとはいえ、手術シーンや生体解剖の場面はこの物語の主軸ではないように感じられたことだ。事件に関わった登場人物たちの赤裸々な心情に重きが置かれていると感じた。

2020年〜、時々「命の選別」という言葉を目にすることがあって、その言葉は度々炎上のきっかけとなるのだけれど、正直、『海と毒薬』に登場する医療従事者たちは、自分たちの欲のために命を選別しているように思えた。

医療従事者同士の人間くさすぎる一面が度々あらわになる。共感できなくもないのだが、何人かの登場人物の正直すぎる告白を見ていると、私は過去に病気になった自分や病気で死んだ母の前に現れた医師、看護士も、同じような思いで私たちを見ていたんじゃないか、と疑ってしまう。

実際、私は自分が病気で入院していたとき、私の症例が珍しいと話す先生の目が輝いて見えたし、生体検査の際には11人ほどの実習生に囲まれたことを覚えている。誰かを助けるために必要な犠牲……とまではいかなくとも、「次につなげる」という気持ちが強く前面に出過ぎるのは、人によっては不快に感じられるかもしれないな〜とぼんやり考えていたことを覚えている。私自身は、割と彼らを同じ感覚だったから、「ぜひ論文に使ってください」って感じではあったけれど。 

ただ、とにもかくにも、前半で登場する手術とそのエピソード内で幾人かの命が失われるが、医者たちの事情を何も知らなかったにせよ、その命の失われ方には不憫さを感じた。米兵捕虜がされたことも同じだ。

 

それから、自分の中にあった残酷な意識に気づかされる作品でもあった。

米兵捕虜は生きたまま解剖されるが、多少麻酔が薄れ、呻く瞬間があったにせよ、ゴア描写のあるホラー映画や拷問描写のあるサスペンス映画のように、生きたまま爪を剥がれたり、水に沈められたり、といったことは起きない。意識を失ったまま、生体機能を大幅に欠損させられるような解剖をなされて、処置をされずに死んでいく。

「もっと残酷な描写だと思った」

と思った瞬間に、一番残酷なのは自分自身だと気づかされた。

「眠るように死んだだけマシか」と思った自分は本当に残酷である。命が奪われたことには違いがないのに。

 

この作品を読んでいたとき、普段電車に乗っていると起こるパニック発作の影響もあったと思うが、作品自体の描写力、生々しさ、そして自分の残虐性に気づかされたことで、読書によって吐き気を催すという初めての出来事が起きた。

そのぐらい衝撃的な作品だった。

 

今度、また吐き気を催すほどの衝撃を受けるのかもしれないが、芥川賞を受賞した『 白い人・黄色い人』も読んでみようと思う。