著者・森毅の激烈な言葉が心に気持ちよく(それは同時に痛みでもある!)響く本だった。印象に残った言葉をあげてみる。
「解き方」を知っていて解く、なんて癖は、受験本番にはむしろ有害だ。
量にたよるというのは「勤勉」という名の知的怠惰にすぎない。
高校受験、大学受験に励んでいた頃、私はまんまと「解き方」を知れば問題を解けるようになると思って「解き方」を知ることに力を注いできたし、量に関しては、恥ずかしながら「勤勉」にはやってこなかった。そりゃあ受験がうまくいかなかったわけだ、と妙に納得しながら読んだ。
かといって、中学生・高校生の頃の自分に読ませたいかというと、そうでもない。なぜなら、あの頃はあの頃で、今の私とは人間が違うし、過去の自分が読んだところでうまく理解できまい。
それに、野矢茂樹(東京大学名誉教授、立正大学教授)による解説が示すとおり、著者の刺激的な言葉をうのみにしてはならない。当時の私なら言葉をうのみにして誤った方向へ進んだだろうな。多分、もっと失敗したと思う。
だから、タイトルは『数学受験術指南』だけれど、受験生が読む場合には「これは受験生が求めるようなノウハウ本ではないよ」と伝える必要があると考える。参考書ではないのだ。
著者は、第1章「受験は精神より技術で」の中で、受験のために身につける技術はあくまでも自分のものであると書いている。確かに本作ではいくつかの技術が記されている。けれど重要なのは、自分だけのやり方を見つけることである。
この本を読んで、真似してみるところまではアリだと思う。だが、自分のやり方にならないなら意味がない。
著者は中学・高校・大学で学ぶ数学と、受験のための数学の違いを記し、取り組み方にも違いがあると書く。加えて解説で野矢茂樹が書くとおり、数学が苦手だが受験には必要だという人向けのやり方はある(野矢茂樹自身も解説内で述べているが、この方法は著者が推奨する取り組み方とは真反対に位置する)。
とはいえ、Aというやり方がよくて、Bというやり方はよくない、といった趣旨の本ではない。とにかく大事なのは、たくさんの選択肢の中から自分のものにする技術。
読む人自身、たとえば受験で数学を突破したい人自身にとって、数学を理解すること以上に受験を突破することが重要なのであれば、著者の森毅が推奨する取り組み方ではない方法であってもいい。そんな風に思えた。
受動的でなく能動的に取り組む。その姿勢の話をしていると思った。だから副題が「一生を通じて役に立つ勉強法」なのではないだろうか。受験以上の話がここには書かれている。
この本が受験の話であり、数学の話であるのは確かだが、同時に人生訓でもある。著者曰く“ミニ人生訓めいた”コラムには考えさせられるものがある。「ティーラウンジ」と評されたコラム集を読むだけでも面白いと思う。