こんにちは、齋藤吐夢です。
幸せって何だと思いますか?
「幸せになりたい」という声を巷で聞いたことはないけれど、行き交う人はもしかしたら、心のどこかでそれを願っているのかもしれない。
でも、幸せって一体何なんだろう。辞書的な意味を調べてみると
しあわせ
1.【仕合(わ)せ】《名》まわり合わせ。運。なりゆき。
2.【仕合(わ)せ・幸せ】《名・ダナ》運がよいこと。幸運。幸福。
とある。”辞書あるある”だけど、本質がつかめないような回答がそこにはありました笑。
運がよいこと。幸運。幸福。
結局このつかみどころのない言葉の定義は、自分自身で定める他ないのかもしれません。
目次
幸せだな〜と感じた話
日中外を散歩がてら歩いている時に、ふと心の中で「幸せだな~」と感じました。
唐突に感じた「幸せだな〜」ですが、以下に紹介する私の状況を知れば、幸か不幸かは自分自身が決めるものなんだな、と納得してもらえるはずです。
端から見れば不幸かもしれない
例えば私は、在宅ワーカーとして”働いて”いますが、世間からすると”無職”です。
無職の定義って何?初めての催促から、口座振替手続きの職務欄が”無職”だったことについて。
社会的に見れば、私の今いる状況は宙ぶらりんであり、国の”女性を活用し、ぜひとも働いてほしい!”という思想からすれば、もったいない生き方をしているのでしょう。
私にだって、もっともっと社会に貢献するバリキャリウーマンになりゆる人生があったのかもしれません。
働けるのに働けないなんて、よっぽど不幸なんだな・・・って思う人もいるのかもしれない。失礼なっ!って思うけどね笑。
それでも幸せだな、と感じたのは
それでも感じた「幸せだな〜」という感情。
確かに通帳記帳して、給料として振り込まれる額や貯金総額は決して多くない。けど、私の幸か不幸かの基準は”金額”ではないし、”社会的な立場”でもないんですよね。
ただただ、毎日を健やかに生きている”今”に重きを置いているんです。
幸せの定義は人それぞれ違う
端から見れば私を大バカ者、親不幸者、社会不適合者、まあ、面と向かって言われたことはないけれど、そう思う人もいるでしょうね笑。
ただ幸せの定義は人それぞれ違うので、そんな名称で私を呼ぶことはまあ許せても、それって本当に幸せなの?って聞かれたら、がるる〜ってうなっちゃう笑。
うるせっ、ほっとけ!ってなっちゃう笑。
バリキャリウーマンが感じる幸せと、私の感じる幸せは全くもって別物かもしれない。もちろん私の両親や夫、上司や先生方からしても、その理由がそれぞれ違うから、
あなたは本当に幸せなの?
って思われているのかもしれんね。
幸せになる方法は簡単
が、まあ、私は幸せな訳ですよ笑。ちなみに、自分が幸か不幸か決められるようになれば、幸せになる方法もとっても簡単です。
だって「幸せになる」だけでいいのだから。
「幸せになりたい」という気持ちはある意味、愚問。なりたい、と思っているうちは決してなれないと考えています。
「幸せになりたい」・・・じゃなくて、勝手になっちゃえよ。ただそれだけですよ、実際。
「やりたい」気持ちだけでは何も始まらない。やりたいことを叶えるには、目標とやる決意が必要!
▲やりたいことを叶えるのも同様です
比べないでください
会社員時代、私の上司は言いました。私の今の待遇は恵まれている。他の新入社員と比べてやりたいことはできるし、出張だってたくさん行かせてやる。
私は確かに他の同期に比べ、色んなことを経験させていただきました。それは本当に恵まれていることで、同期に直接いいな~と言われたこともあります。
でもこのことを幸せとは捉えたことはありませんでした。
恵まれていたのは事実、でも私が定義づけた幸せとは全く違います。
その頃から変わっていない私の”幸せ”は、「家族との時間を重視すること」や「やりたいことに挑戦すること」です。「会社の恵まれた待遇」は幸せではないんです。
▲こんな幸福感もあるのだから!
幸か不幸か自分が決めろ
「幸せになりたい」
・・・なりたきゃ勝手になっちゃいましょう。
「いいな。あなたは幸せそうで」と言われた時には、比べないでください。そう言った人の幸せが、あなたの幸せと一致するかどうかなんて分からない。
幸か不幸かは自分で決めるもの。もちろん私があなたに対して、巷にあるような「幸せになる方法」を伝授する権利もない。自分で決めてくれ。
自分にとって都合のいい幸せでいいじゃないですか。幸せなんて誰かに定められて決まるものじゃないんですよ。
だから「幸せになりたい」ならしっかりと自分で”幸せ”の定義を決めてしまいましょう。自分だけの定義を。
では。
◆本日の一冊◆
考えさせられる。人と比べない大切さが学べます。