人類学、地政学好きに勧めたい小説。上橋菜穂子『鹿の王 1』(KADOKAWA・2017年)

鹿の王 1 (角川文庫)

友人がおすすめしてくれた小説で、私が読み終えたのは文庫版全5巻のうちの1巻のみだが、物語序盤でもう面白い。

人類学や文化人類学地政学といった学問への興味関心が高い人、あるいは知識がある人ならば確実に楽しめる小説だと考える。

私はこの本を読む前、ライターの仕事でたまたま人類学に関する調べ物をたくさんしてきた。加えて、夫がおすすめする漫画、山田芳裕望郷太郎』(講談社、2019年)を読んできた。『望郷太郎』の物語の舞台は未来だが、ヒトと文明の歴史をさかのぼる物語でもある。

こうした背景から、『鹿の王』の物語が理解しやすくなる基盤ができていたと思う。

 

『鹿の王』はジャンルとしてはファンタジーなのかもしれないが、ファンタジーという言葉から連想されるもの以上の臨場感、ノンフィクションさながらの臨場感がある。

たとえば主人公が囚われていた岩塩鉱の薄ら暗い空気感や謎の病に襲われパニックになる人々の描写、主人公と幼子が出会う瞬間の緊張感と安堵感、鹿の軽やかで生き生きとした描写、登場する国や町、村などの独自コミュニティの空気の違い、これら全てが驚くほどに生々しい。

生々しいからこそ、物語の展開に緊張感が走るたび、自分がその場にいるかのように息を呑んでしまった。

この作品はフィクションだが、現実世界の民族同士の対立や争いの火種は、この作品で描かれているものと同じ気がしている。自分たちの利益を優先し、自然の摂理を無視するようなやり方で物事が押し進められる描写に、モヤモヤしたのを覚えている。

 

文体は非常に読みやすい。とはいえ、決してライトノベルのように、台詞やモノローグが中心といった感覚はない。

作家紹介文を見ると、著者の上橋菜穂子文化人類学を専攻しており、オーストラリアの先住民アボリジニを研究していたという。作品の空気に「どうりで!」と納得した。フィールドワーク※の視点が作品に表れているのかもしれない。

※学問の性質上研究室の外で行なう採集、調査、研究など。また、教育上の目的で行なう現場学習。地質学、生物学、人類学、考古学、社会学などで重視される。野外調査。(出典:精選版 日本国語大辞典