先日、森美術館で開催されていた、森美術館開館20周年記念展「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」を観に行った。2度訪れている。1度目は1人で、2度目は友人と夫とともに観た。
1度目に行った時、私が自分自身にメモを残しているので、それをそのままさらしてみる。
観て良かったと感じつつ、深く印象に残っている作品はない。おそらくそれは、私がオールドメディアと呼ばれつつある絵画表現にこそ心を揺さぶられるからに他ならない。
深く印象に残っている作品はない、と書いたが、これは一切心に響かなかった、という意味ではない。衝撃を受けて身動きが取れなくなる作品はなかった。けれど、深く考えさせられる作品は多々あった。人とは。生態系とは。自然とは。環境破壊とは。それに向き合う多種多様なアーティストが導き出した解は多分、私が忘れた頃にじわじわと、脳裏に現れて私を殴るんだろうな。そんな感じ。
映像作品が多かったが、映像作品や光、音を発する作品はやはり強い。人を惹きつける。人魚、蛇、CGで作られた仮想の〇〇などが次々と映し出されるもの、昆虫の羽音と群衆の声が重なるもの、自然と人工物でできた地層を照らすライト、鳥の鳴き声を電子音に変換したらしい音、真珠の恨み言。空間の強さを知る。絵画と向き合う時、自分の中の感情と会話するような気分になるが、空間と向き合う時には、自分という存在を問われているような気持ちになる。私が、今、ここにいる、とは。
なんか、楽しんでますね。
1度目も2度目も、心をぶん殴られるような経験は起こらなかったが、気になる作品は割と変わらず。しかし、1人で観に行くのもいいが、芸術に真摯に向き合う友人と、今回のようなテーマに対して、芸術ではなく科学的にアプローチしてほしかったと話した夫の、それぞれに異なる視点のおかげで視野が広がった気がして、とても貴重な時間だった。
私が「ここにずっといられるな」と感じた作品はアピチャッポン・ウィーラセタクン《ナイト・コロニー》(2021)である。
目に映る映像だけを説明するならば、真っ白なシーツが敷かれたベッドの周囲に照明が設置され、虫がそこに群がる様を映し出したものだ。
しかし実際には、虫の羽音にまぎれて2020年にバンコクで行われた民主化デモの群衆の声が入り交じっている。
映像の最後に、老人の手がニュッと現れて、枕についた虫を軽く払うのだが、いたって普通っぽいその行為、その光景が、民主化デモなど人々の運動がいとも簡単に追いやられるような皮肉に見えて少しゾッとした。ゾッとしながらも、それもまた自然の摂理なのかもしれない、と思った自分に軽く嫌気がさした。
でも、そんな感情になることも含めて、お気に入りとなった。