2020年10月31日〜11月15日まで国立のGallery Yukihiraで開催されていた斉木駿介さんの個展「スクロールする風景」。
同日、酢平☆さんの個展「とりざんまい」を見に行った際、酢平☆さんから「めっちゃかっこいいですよ」とご紹介していただき、Gallery Yukihiraまでテクテク。足を踏み入れた瞬間、小声で「はあ?かっこよ」と謎にキレました。素敵なもの見ると、感情昂るよね。
「スクロールする風景」
私の絵画は現実やネット上のモチーフや風景、記号を解体、再構築して作られている。
私は絵画というメディアを用いて現在を記録したいと考えている。
描くという行為を通す事により自分が感じている現在の空気感やイメージへの解像度をより正確に伝える事が出来るのではないかと考えています。引用元:展示ステートメントより
展示ステートメントには、ウイルスの脅威により“自身の去年のコンセプトであった強固であったはずの日常が失われる事態に私自身恐ろしくなった。日常はある日突然簡単に奪われていく。”ともあった。
本当に。「日常ほど不変的なものはないよね」なんてもう言えなくなってしまったね。
斉木駿介さんの作品は、日常生活でよく見かけるものが描かれているのに、それはどこか、自分とそれとの間に線が引かれているというか、身近なものではないようにも見えるというか、傍観するかのようというか、とにかく絶妙な距離があった。
こんなに不穏な日常でよく見るものがあっただろうか…
私は時々、当事者にならない限り、実感しにくいものがあるよなあ…と思う。しかも、それはとてもつらく悲しい。飛行機がビルに突っ込んだときも、建物が波にのまれる瞬間も、連日報道される数字も、絶対に起きている出来事なのに距離がある。その出来事自体、つらく悲しいはずだが、実感しにくい、それがまたつらく悲しい。
彼が描く作品は色彩は明るいし、画が歪んではいてもポップなのに、なんでこうも胸がつっかえるような、ただ「かっこいい」「好き」だけでは済ませてくれないような、なんて素敵な作品なんだろう…と、私はじっと立ち尽くしていた。
肉の潔さに心惹かれ、ほんと、ずっと見てた。
家電量販店に並ぶテレビが、「ライフ」が、新聞の文字が、可愛らしい絵文字が、全てが見慣れているのに不穏。「現実で起きていることを、非現実だと思っていませんか?」と問われた気がした。本当にあなたは「見て」いますか?みたいな。
斉木駿介さんの感性、恐ろしかったなあ。好き。