【忘備録】『ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡−市民が創った珠玉のコレクション』

出典元:https://twitter.com/LudwigExhn/header_photo

「行きたいな〜、でもタイミングねえな〜」と思っていた。けれど、別の展示を見るために国立新美術館に足を運ぶ機会ができ、かけこみで観ることができた。別の展示の話もするけど、別の展示含め、観て本当によかった。

 

まず、国立新美術館に足を運んだのは、新制作協会の『第85回 新制作展』を観に行くためだった。自分が通っている絵画教室の先生が新制作協会に所属しており、先生の作品を実際に観てみたかったのだ。

www.shinseisaku.net

藤田邦統先生の作品はめっちゃくちゃ大きくて、茶色!黄色!って感じだった。先生に制作意図をガッツリ聞いたことはないので、先生の描く抽象画を「感じる」鑑賞をした結果、感想が「めっちゃくちゃ大きくて、茶色!黄色!」になっちゃったのだが、あのダイナミックさはペーペーの私には絶対に出せない。「わー茶色!」なんだけど、圧倒される茶色だった。

抽象画ってそういう、何が、どういう、といった説明がすぐにはできないが、「うわー!かっけー!説明できねー、ムカつくー!」みたいな経験を味わうことがある。

ちなみに、私にとって最大の、説明できなくてムカつくけどクソカッケー抽象画の例は東京国立近代美術館で観た、元永定正《作品》(1961年)である。下にリンク貼りますが、実物を観れる機会があったら直接観ていただきたい。

search.artmuseums.go.jp

 

で、『ルートヴィヒ美術館展』である。

『第85回 新制作展』を観た後、体力残ってるかな〜と不安だったのだが、むしろ夫の方が『ルートヴィヒ美術館展』に興味を抱き「気になるから観よう」と言ってくれたので、美術館内のカフェでコーヒーとアイスによるエネルギー補給後、2人で入場。

“20世紀美術の軌跡”とあるように、抽象画や現代アートがメイン。

これは私の感想だが、抽象画や現代アートって「何が描かれているのか」「どういう意味で作られたものなのか」がすんなりとは理解できない作品ばかり、という印象がある。けれど「別に全てを理解できなくてもいいんじゃないだろうか……」と思わせてくれる、言葉では言い表せないかっこよさや圧を感じた。

正直、私は「2章 ロシア・アヴァンギャルド」のエリアに展示されていた作品については「わ……わっかんね〜」と頭を抱えてしまったのだが、「1章 ドイツ・モダニズム」の頭の一部分が凹んで血が出てるみたいな肖像画(作品名を忘れてしまった)は、「怖ぇよ……」と思わず呟いてしまったものの好きだな〜と思ったし、「3章 ピカソとその周辺」にあったピカソの作品はやっぱりかっこよかった。体の力が抜けてしまうほどヘナヘナなマティス静物画も素敵だった。「第5章 ポップ・アートと日常のリアリティ」ではジャスパー・ジョーンズの《0-9》を観ることができた。雑〜に言えば、0から9の数字を書いただけの絵に見えるが、0から9の数字を書いただけなのに心惹かれるっちゅうのは一体なんなんでしょうね!?「第6章 前衛芸術の諸相」には、真四角のキャンバスの真ん中に「丸!」みたいな作品が2つあったのだが、これも雑に言えばただの丸だが、やっぱりただの丸じゃなくて、その作品が持つ力が恐ろしくも感じられた。

 

私はちょうど今、通っている大学の卒業制作や、今後の作品制作に対する「具象と抽象」という問題について頭を悩ませている。

感覚的な説明になるが、先生曰く、具象は場面を描き、描きたいものを表現する。抽象はやりたいことを表現する。

先生曰く、私は、モチーフがある時点でアプローチは具象的だが、筆のさばきや絵の具の物質などを楽しむ姿勢は抽象的なアプローチとしてできているようだ。

ただ、どちらの先生も、両方やる、具象と抽象の間のアプローチに対しては、あまり楽しそうな顔をしない。おそらく、やっちゃあいけないわけではないと思うのだが、作品の強みにはならないのかもしれないし、もっと自由にのびのびやればいいのに〜という思いもあるのかもしれない。

そんな中『ルートヴィヒ美術館展』に行けたのはとてもいい収穫となった。確かに、抽象的な表現で描かれた作品は、分からないものもあったが、その場で観て完結してしまうほど簡単な作品でもない。分からないから、ずっと残り、分かりたくて考え、コンセプトを知ったとしても考えさせられる。

確かに、観る側に対して「哲学する・させる」力が強いのは抽象画かもしれない。

そんなことを思った。