DIC川村記念美術館にてロスコ・ルームに入室する

マーク・ロスコ伝記

DIC川村記念美術館へ行くのは2回目だった。

常設展や企画展を観るために足を運んだが、一番の目的はロスコ・ルームである。

ロスコ・ルームとは、ロシア系ユダヤ人のアメリカの画家で、ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマン、ウィレム・デ・クーニングらとともに抽象表現主義の代表的な画家であるマーク・ロスコの作品専用の展示室である。

DIC川村記念美術館のウェブサイトには以下の文章が記されている。

ロスコ・ルームは2008年に増築された部屋の一つで、マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉専用展示室として建築家の根本浩氏が設計しました。1950年代末、ニューヨークの高級レストランを飾るために制作された<シーグラム壁画>は、「自分の作品だけで一室を満たす」というロスコの願いが叶うはずの初めての連作でした。計画は実現しませんでしたが、半世紀後の日本で画家の夢を形にすべく整えられたこの空間は、絵と建築が一体化した「場」として鑑賞者を包み込み、言葉を超えた世界へ誘います。

引用元:ロスコ・ルーム | DIC川村記念美術館

ウェブサイト上や宣材画像のロスコ・ルームは白色灯で照らされたような見た目だが、実際のロスコ・ルームは展示されている作品群に共通する「えんじ色」をより深く感じられるような仄暗い光に包まれている。

部屋の中央には鑑賞のためのソファが用意されており、そこへ座ると、ロスコの作品群が四方から、静かで、落ち着いていて、緊張感が漂う、そんな圧力を感じさせてくる。

これは私の主観でしかないが、そこにいると、深い絶望とその間に微かに見える希望にあたたかく包まれ、落ち込みもするし、落ち着きもする、といった感覚を得られる。私はそんなロスコ・ルームがとても好きだ。

初めてマーク・ロスコの絵画を知ったのは、武蔵野美術大学通信教育課程に通っていた時のことだった。その時の印象はものすごく単純で「わー、四角い」だった。けれど、その後、同級生の制作風景や他に通っていた絵画教室での制作時に、先生の口から度々マーク・ロスコの名が登場し、その度、私の耳にすっと入ってきた。

DIC川村記念美術館の存在を知ったのも、この頃だった。

20世紀後半のアメリカ美術が比較的多く観られるのでは?と思い、初めてDIC川村記念美術館に足を運んだ時、さまざまな作品に心打たれたが、ロスコ・ルームには完全にやられてしまった。

言語化するのが本当に難しいが(だからこそ絵画という表現は面白いのだと思うが)、なんとなく「わかる」とか「悲しい」「つらい」「落ち着く」「安堵したい」みたいな感情がばーっと流れ込んできて、マーク・ロスコの作品とマーク・ロスコ本人への興味がグッと深まった。

2度目のロスコ・ルーム入室では、描き方に関心が向いたのも面白かった。

私は今、抽象的な表現の絵画作品を描いている。

とあるイベントに参加した際、お客様の口から度々マーク・ロスコの名が出た。とんでもなく雑に言ってしまえば、私の抽象表現とロスコの作品はともに「四角い」のだ。私自身もロスコの作品が好きだし、それ以外にも何か共通項があるのかもしれない。

私は今後も絵画を制作していく上で、共通項と相違点を明確に説明できるよう、ロスコの作品をより深く知りたい、研究したいと考えた。だからこそ、描き方、なぜそこに黒を置いたのかとか、なぜそこを塗りつけたのかとか、そういうことに目がいった。

そして今は、厚さ6cmほどの分厚い彼の伝記を読んでいる。

おそらく、これを読み終わった後、3度目のロスコ・ルーム入室ではまた違った感想を抱くのだろう。今はただただ、本を読み進め、それを味わうのが楽しみである。

私とは正反対に比較的明るい性格の夫は、1度目の入室では「暗い」という印象を抱いていたようだ。部屋そのものの暗さや作品群の色彩が「暗い」という印象を感じさせるのだと考える。で、それは全然別に悪いことではない。むしろ、やっぱり素直な感想で素敵だと思った。

でも、もし少しでも「孤独」や「疎外感」を味わったことがあるのなら、ロスコ・ルームが「わかる」かもしれない。マイナスの意味でもプラスの意味でも、「孤独」がわかれば「わかる」気がする。

 

「わかる」というのも面白いので、「孤独」や「疎外感」を味わったことがある人はぜひ行ってみてください。そしてよかったら、何を思ったか、どう感じたか、教えてくださいませ。

 

kawamura-museum.dic.co.jp