はてなブログの【特別お題】があまりにも素敵だったので、投稿する。
テーマは「わたしの自立」。
現在フリーランスのライター兼、自分で描いた絵を自分で販売する”絵描きさん”として働いているわたしの、自立のきっかけは病気だった。20歳で経験した”がん”はいつまでも心にくすぶり続けていて、わたしのコンプレックスとなっている。
でも、そんなコンプレックスがあるからこそ、わたしは自立できた。「自立っていいな!」と思えたし、「どうせいつか死ぬんだから生きよう!」って思えた。
ってな話をする。
わたしの自立
自立って何だろう
自立という言葉の意味を調べてみる(わたしは知ったつもりでいる言葉の意味を調べるのが好きだ)。
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に
自立 する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。
”他からの支配や助力を受けずに、存在すること”が定義であり、簡単に浮かぶ自立といえば「一人暮らし」や「親元を離れて暮らす」、「社会人になり、自分で稼いだお金で生活する」といった感じだろうか。
となると、わたしは現在「自立」できている。
否・・・ものすご〜く細かく言えば、夫と生活費を折半しているとはいえ、夫に甘えている部分が0ではないあたり、「自立」できていないのかもしれない。
「自立」の話題は難しい。
「自立」について検索をかけたところ、「大人はみんな『自立』の意味を勘違いしている」や「親元を離れるだけが自立じゃない」などのタイトルが目に入る。
- 親元から離れることだけが自立ではない
- 精神的な自立ができていない
などの話題が目に入る。
一方で「本当の自立とは、誰かとともに生きていくこと」という内容もある。辞書的な意味と比較すると、相反するようにも聞こえるが、わたしはこの記事で言われている「自立」が理解しやすかった。
勘違いしやすい「孤独」と「自立」の違いが描かれていたから。
「自立」について考えるのは難しいが、ここから先の話は、わたしがわたし自身の今を「自立している」と定義したうえでのお話だ。
自立のきっかけ
このブログは、自分の大好きな分野である「映画/DVD」「アート/イベント」について書くことが多いが、それだけじゃない。自分の経験した病気や肉体的・精神的につらかった体験を書く「体と心」というカテゴリで記事を書くことも多々ある。
わたしの自立のきっかけは、病気だ。
何度も執筆していることだが、20歳のときに”がん”になった。
今はピンピンしているし、「元気になってよかったね」と何度も言われているのだが、わたしにはコンプレックスがある。1度経験した病気の過去を、取り消すことができないというコンプレックスだ。
わたしがいつまでもいつまでも、飽きることなく「自分は病気だった」と書き続けるのには理由がある。単純に忘れられないからだ。「そういえば病気だったこともあったっけ?」というには、想像以上に傷が深い。
病気は、その過去を忘れさせてくれないと知った。わたしの”がん”は毎年3〜5回の定期検診でチェックしており、悪さをする様子を見せないが、ちょっと調子が悪いと「再発」を疑うようになった。
このコンプレックスは、腹立たしいことにわたしを成長させた。
わたしは「いつ死んでも悔いのない人生を送りたい」と、純粋に思うようになった。
我ながらクッサい台詞だなあと思うが、本当にそうだ。いつ死ぬかなんて分かりゃしない。だから、”他からの支配や助力を受けずに、存在すること”が目標になった。
何かにすがりつくように生きるのではなく、自分の信念に沿ってまっすぐ生きたい。
悔いを残さず死にたい。
そんな死を選ぶために、自立したい。
そのために、まずわたしは居心地の悪さを感じて会社を辞めた。
「この会社で人の顔色を伺いながら生きていくのはありか」と自分に問いたとき、答えは「NO」だった。それから再発に怯えながら働くことも、精神疾患を薬で抑えながら働くことも、自分の生きたい人生に沿っているか問うた。その答えも「NO」だった。
会社を辞めたという決断は、会社のせいでもなんでもない。
わたしがただ、会社員としての生き様を好かないだけだった。
それから自分のやりたいことに着手した。ライターの仕事だ。ゴリゴリ書き続けた。絵も描いた。ずっとやりたかったことだ。描いて描いて、発表した。その結果が今である。「自立」した今である。
自立の何がいいか
「自立」の何がいいかを考えたとき、浮かんだのは
- 何でも自分で選べる自由
- 自分一人が背負うことになる責任の重さ
だった。
責任の重さと聞くと、ネガティブなイメージが湧くかもしれないがそうではない。
これほどまでに心地の良い責任はめったに味わえない。自分の得たい自由と同等の重さを味わうことができる。自由になればなるほど責任が重くなるが、それだけ対応できる力も増える。そう考えている。
自立とは、”他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。”である。
すなわち、他から干渉されることがない。
他からの干渉がないのだから、何だって自由にできる。自分が決めて、自分の思う通りに進めることができる。誰かから指図を受けても、それに従うかどうか決めるのは自分自身だ。従わなくたって、それに責任は生じない。
その分、誰も守ってくれない。
でもそれが他から干渉されない対価だとしたら十分だ。
自立は孤独と違う
そして冒頭で紹介した「本当の自立とは、誰かとともに生きていくこと」を参考にすると、「孤独」と「自立」は別物である。
誰からも干渉されず、誰からも守られない。だから、1人ぼっちになる・・・わけではない。助けを求めるのも自分の意思なのだから「自立」はできている。むしろ干渉を避けすぎて身動きが取れなくなるのは「自立」じゃない。
”支えるものがなく、そのものだけで立っていること”ができなくなるなら、それは「自立」じゃない。
自立したわたしの今
自立したわたしはフリーランスのライターとなり、大好きな映画やドラマに関する記事や、大学〜大学院時代に学んだ農業・生物化学分野にまつわる記事を執筆させていただいている。
不名誉なフラれ経験を活かし、最近では恋愛系の記事まで書いている。
”絵描きさん”業も順調だ。
イラストレーターのような仕事を来年から積極的に取りに行こうと考えているが、1年間描き続けたおかげで、描きたいものの方向性は決まり、ありがたいことに「入選」経験まで手に入れた。
デザインフェスタでは、レンタルブース代を取り戻せるぐらいの利益は出せるようになった。
「自立」で気になるお金の話題。
正直な話、会社員時代の半分ぐらいしか稼げていない。当然ながらボーナスもない(嘘偽りのなさすぎる運営報告をぜひ見てみてほしい)。現在会社員の夫がフリーランスデビューを果たせば、フリーランスに優しくない年金や保険の制度が待っている。
そんな「自立できるのか」臭が漂う収入状況だが、いわゆる労働時間(わたしの場合、パソコンにかぶりついて記事を執筆する時間)は会社員時代の半分もない。毎日仕事のことを考えているが、実働時間は会社員時代よりも少ないのだ。
そもそも支出が少ない。
自分が使えるお金を考え考え消費するようになったところ、お金を使う機会がグンと減った。元々お化粧品やファッションなどのビッミョ〜にかさむ出費をほとんど出していない。それも収入が減っても大して緊迫しない理由のひとつだろう。
「稼ぐ理由ができた」今だからこそ、「もう少し稼がなければならん」とわたしの自立ライフを見直している真っ最中だが、”他からの支配や助力を受けずに、存在すること”ができていれば、「自立」と「稼ぎ」は別物なのではないだろうか。
確かに「稼ぎ」は、人に「自立」を説得させるためには、なかなか重要で便利な証明にはなるのだけれども。
「自立」って楽しい!
色々書いたけれど、「自立」は楽しい。
「自立」を証明するのに便利な「稼ぎ」という面では、「まだまだ、これから!」と奮起している真っ最中だが、悠々”自立”ライフは送れている。
自分にとって納得のいく自立ができていれば、まずはOKなんじゃないかと思う。
もちろん端から見て、「あいつは自立してない」「精神的に自立してない」と指摘されているのかもしれないが、「孤独」と履き違えてさえいなければOKなんじゃないかと思う。
今一度、「自立」の定義を見よう。
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に
自立 する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。
わたしの場合は病気がきっかけだったけれど、「自立」したことに悔いはない。自分で考え、自分で行動し、自分の責任は自分で負う。自分の人生を生きられるのは自分だけなのだから、こんなに最高なことはない。
自立のきっかけは人それぞれ違うだろうが、「自立」を悔やむ人は見たことがない。#わたしの自立 が、「自立したい!」と思っている人の後押しになると嬉しい。
では。
◆本日のおすすめ◆
「自立」 をテーマにおすすめしたい映画を紹介!
▼徐々にイキイキとしていく主人公が印象的
▼主人公が自分の意志をもつ瞬間、最高!
▼青年の葛藤と決心を丁寧に描いた作品。