原点回帰。

これまでに書いた記事は消さない。

齋藤吐夢を名乗っていた時期もあった。今は文筆業・画業ともに本名を名乗っている。ブログやSNS上で思いっきり顔出ししているわけではないが、顔出しNGとは言っていないので、探せば私の顔面がネットの海にガッツリ出てくる(有名人でもなんでもない素人なので、大した写真は出てこない)。でもブログを振り返ってみた時に、自分の経験談≒私生活を切り売りするような記事を書いてたかも、とほんのり思う。これもまた、ただの素人が書き連ねた文章だから大した話ではないが。

自分が「好きだな〜」と思っていた人の言動がSNS上で炎上寄りの話題となり、どちらかというと、その人の言動以上に、その人の言動が原因で簡単に心が離れかけた自分にショックを受けた。簡単に心が離れかけたってことは、結局のところ大して好きではなかったということだから。

上の話と、その上に書かれた話が直接的につながるわけではないが、なんだかこう、シンプルになりたいと思った。

私の職業は文筆業と画業で、文章と絵画をかく(書く・描く)のが仕事である。

書く仕事と描く仕事は、案件そのものは一切つながっていないが、両方の経験がお互いに影響しあっていて、それに伴い、このブログだったり、SNSだったりを色々つなげて利用していた。今でもつながりはある。けれど、「自らつなげていく必要性」はもうないな、と感じた。

2023年10月末にSNSをInstagram1本に絞った。それまでFacebookやX(旧Twitter)にも触れていたが、少し前にFacebookを退会し、2023年10月末にXもやめた。そして1つに絞ったSNSであるInstagramの役割を、これまでは娯楽用でもあったが、画業の営業ツールとしてのみ使うことに決めた。

「ライターもやってるし、画家もやってる」という話は口頭ではするし、相変わらず両方とも本名で活動しているが、Instagramには画業のことしか触れない。このブログでは、サイドバーにあるプロフィールにあった文筆業や画業に関する詳細な記述やURLを消した。

冒頭で書いたように、これまでに書いた記事は消さないので、私が何者だったか、何者であるか、どんな展示を宣伝してきたか、とかそういうのは遡れば分かる。けれど、今後はブログはブログとして細々と更新し、そこにライターとしての、画家としての自分をわざわざ主張することのないようにしたい。そう思った。そして、そうした。

noteも消した。

過去に公開した夫を特集したウェブマガジンや夫との交換日記は、夫の文章が面白いのでそのままにしている(すなわち、アカウントは残っている)のだが、多分それを見返したり、人のnoteを見たりする用途以外で触れることはもうないだろう。

自分でこれを書いていて、ふと思う。

じゃあ、なんでブログは消さないのか。

なんでだろう。

かっこがつかないのであまり言いたくない言葉だが、正直に言う。それでも誰かとつながりたいからだ。

ただ、私はとてもわがままなので、誰とでもつながりたいわけではない。これから、誰のためでもなく、自分の思考整理に近い形で書評や映画評、美術展に関する話題などを書き連ねていくと思うが、それを見つけてくれて、それを楽しんでくれるような人たちとつながりたい。

めちゃくちゃわがままだが、そうしたいから、そうしよう、という話。

欲がないのも考えものだが、「こうなりたい」という身の丈に合わない理想像を設定して振る舞いが醜くなるのも考えものだ。憧れはあっていいが、憧れの対象と自分自身は全くの別物、全くの別人だということを忘れてはならない。

色々ラベリングしなくったって、定期的に軸がぶれてかっこ悪かろうと、そういう自分自身を見てくれる相手だっているものだ。

それを、自分に言い聞かせるための原点回帰でした。