こんにちは、齋藤吐夢です。
私達夫婦は多分、仲は良い。
でも時々、私が彼に対して”夫””彼氏””恋人”といった特別な異性感情を抱こうとしないことについて、彼は愚痴(?)をこぼす。
私にとって彼は”夫”であると同時に”他人”である。
恋愛のような異性感情を抱けないことには、若干の申し訳なさも感じているが、”他人”だということは誰に対しても変わらず抱く感情である。
夫であっても。
夫婦、暮らす
夫婦になる前から、私達は一緒に暮らしている。人と共に暮らすことは、予想以上に大変だ。でも私は夫と5年以上同棲できているのだから、相性は良いのだと感じている。
しかし”相性が良い”と”居心地が良い”は全くの別物である、と言いたい。
夫婦で暮らすことは、それほど難しくないように思えるかもしれないけれど、人によっては「夫婦は我慢である」と乗り切ろうとする。
難しくはない。それは事実かもしれないが、どちらか一方が、あるいは両方が、秘めたる思いを抑え込んで生きていることだって十分にあり得る。
例えば家事の仕方、生活スタイルの違いについて我慢している人もいるかもしれない。
夫婦はあくまでも”他人”なのだから、互いの考え方の違いを割り切らないと、戦争になってしまう。
家事の仕方、生活スタイルの違い
例えば家事の仕方において、我が家の問題を話そう。私のブログだから、私が一方的に文句を言っていることが多いが、私にも重大な欠陥がある。
私は部屋が片付いていないと、集中することができない。
散らかっているものが目に入るとイライラしてしまうのだ。勉強や仕事も、それができる状態の部屋になっていないと始めることができない。
一方夫は、多少ごちゃごちゃした空間でこそ、本領を発揮する。ごちゃついたものが自分のモノだからこそ、どこに何があるか把握できて安心できるのだろう。
脱いだ衣服、鞄、書類、あちらこちらに置いていく。それが視界に入っても、気にはならない人なのだ。洗濯物も食器も、彼の中で必要にならない限り、片付けは必要ない。
時にいらだつ人というのは
あくまで”他人”なのだから、家事の仕方、生活スタイルの違いを受け入れる他ないと思っている。クローンじゃあるまいし、違う価値観の人の方が多いに決まっている。
この場合「相手はそういう人なんだ」と受け入れてしまえば、なんとかなることは多い。
相手のスタイルについて、自分が納得できるかがポイントだ。
ただ時にいらだつ人というのは、例えば家事の仕方などで男女間戦争が勃発してしまう場合には、「察せよ(女性→男性)」と「言えよ(男性→女性)」のぶつかり合いが原因かもしれない。
例として我が家の場合
玄関にゴミを置いておいたら3日ほど素通りされたことがある笑。ただこの時点で気づいた人もいるだろう。私は彼に「捨ててくれ」と頼んだ訳ではない。
捨ててくれるんじゃないかと、期待していただけなのだ。
当然、彼にその義務はないし、私は彼に「依頼」すらしていないのだ。素通りするのも理解できる。
だって彼にとっては「言われていないことをワザワザする意味がない」からだ。
夫「なんか臭いね」
私「ゴミの臭いじゃない?」
夫「そっか」
夫「じゃあ、行ってくるね」
夫からすれば「ゴミ捨てをお願いしたいなら、頼んで」ということなのだ。
夫婦でありたいなら
時にいらだつ人と、我が家の場合を書いた。夫婦のことでいらだってしまう人は、相手に気を遣いすぎているのだと思う。
夫婦はあくまでも”他人”である。
たまたま一緒に過ごすのに、気の合う相手だというだけだ。それ以上でも以下でもない。言い方はキツいかもしれないが、適度な距離はどんなに仲の良い夫婦であっても必要だ。
私が夫婦でいられる理由
といっても実はまだ、結婚してから1周年も経っていない。もう少し新婚感を味わいたかったものだが、双方の家族間で色んなことがありすぎて、もう結婚して10年のような錯覚をしている笑。
私は彼のことを異性として「好き」と思ったことはあまりない。一緒にいてて楽しいが、タイプじゃないし、もっと言えば出会う時期を間違えたら大っ嫌いだった笑。
でも「すごいな」と思う。私にはないものを持っているから。彼は私が負なら完全に正だと思う。彼のバイタリティは私にはない。でも彼も、私に対してそう思っていると聞いた。
他人と共に暮らし、他人と共に生きるのは大変だ。受け入れるのすら拒絶したい時があるのも本当だ。でもその前提を身をもって感じるだけでも、相手への想い方は変わるよ。
では。
◆本日の一冊◆
一人っ子の私と末っ子の夫は相性最悪笑。
結婚も友情も仕事も相性悪くて笑いました。