こんにちは、齋藤吐夢です。
チェーン店の味がうまいか、まずいか問われると、「それはまあ・・・好き好きだからねえ」としか返事のしようがないと思っている。
チェーン店の中と聞くと、いまだに味と価格に納得いかない店もあるし、かと思えば旅行先でローカルチェーン店に行くと、その土地に確かに行った証明になったような気がしてならないし・・・。
奥が深いぞ、チェーン店。
気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている
チェーン店の魅力は正直分からない。
否、誰が正しいのは言わず、私が考える魅力を伝えるのであれば「いつお店に立ち寄っても、うんうん、まあ、そうだよな、程度に納得できる味を出す店」というところでしょうか。
冒頭にも書いたけれど、たまに「この値段でこの程度の味なんかーい!」と納得できないお店にぶち当たることがあるけれども(※)、でもチェーン店にはチェーン店特有の安心感があるのは確かだ。
気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている は、そんなチェーン店特有の安心感を描いている。そう思った。
回によっては「これはうまいのかと問われれば、まあ、別に・・・」なんて正直な感想を、外食チェーンにあるまじき正直な味わい笑を書いているものの、それは誰がなんと言おうと「普通に美味しい」ということだ。
※ちなみに、私が納得できていないチェーン店は某壱番屋である。多分私のカレーに対する愛がそこまで深くないのも影響しているのかもしれない。学校給食のようなカレーに1コイン以上出すことに納得いっていない笑。
普通に美味しい
「普通に」という部分をまるで広辞苑のように説明することは叶わないけれど、時に「普通」という言葉は「普通に」人を救うのだと思う。
突飛な味付けや、やたら厳かな味付け、それはそれでとっても美味しいのだけれども、時には何にも考えずに美味しい食事を取りたい時がある。
そんな時に人を救うのは「普通に」の部分なんじゃないかって。
安くて美味いというのが当たり前のような時代になって、そんな時、その安さから考えて「普通に美味しい」味を食べることができたら、それって結構全力でありがたいよね。
普通に、でも十分ニコニコしちゃうもんね。美味しいければ。
かすかな哀愁と幸福感
チェーン店でご飯を食べている人の姿にはかすかな哀愁と幸福感がにじみ出ているように思えて仕方がない。
私は人を観察するのが本当に好きなので、サイゼリヤにたむろう若い人たち(バンドメンバーだろうか?スーツの彼らは新入社員だろうか?)とか、日高屋の奥に座る結構いかつい夫婦とか眺めるのが好きだ。
そんな彼らからは、かすかに哀愁が漂い、でもそれでいて幸福感が滲んでいる。
もちろんこの連載のために、チェーン店に足を運び、出された料理を食べつ書きつ周りを見つつな著者村瀬秀信さんからも、かすかな哀愁と幸福感が十分出ちゃってるが。
このエッセイを読んで、今まで知らなかったチェーン店の種類や、普通な美味しさへのこだわりを知れたのは面白かった。
ただそれ以上に、どのような形であれ食事に向き合う人の姿が、なるほど私は結構好きだということが分かった。
散歩の達人の連載
散歩の達人 をしっかりと読み込んだことはないのだけれど、毎回本屋に足を運ぶたび、散歩を楽しむ姿を模したようなタイトルロゴと、テーマとなる場所の書かれた表紙が目につく。
雑誌に掲載されているコラムは絶妙な文字数で、かつ読み応えがあるから好きだ。今回読んだこのエッセイ集のように、それが1冊にまとまるとなおのこと嬉しい。
うん、何だか嬉しい。
これからチェーン店に足を運ぶたび、
この本のことを思い出すんだな、と思った。
では。
◆本日の一冊◆