原作より先に映画を鑑賞していた。映画がとても好きで、文章であの世界を体感したいと思った。原作は映画以上に生々しく、ものすごく楽しめた。登場する女たちは自分たちのやり方でたくましく生き抜く。清々しいラストは映画も原作も同様で、それに救われた。
読んでいて、映画以上にしんどかったのは東京と地方や男と女、ヒエラルキーの階層の間にある厚い壁だった。特に、「第二章 外部」の主人公・時岡美紀が見る「東京」の夜の世界の描写に、胸がつっかえる。夜の世界に深入りしたくないと思っていた彼女の視点は言い得て妙だった。
男の性欲は社会全体で容認されており、若い女よ、お金のために体を売れという誘惑は、街中にばら撒かれている。
男と女が互いのリソースをおおっぴらに搾取し合うえげつない構造が、商売としてまかり通っているとは、なんて汚いんだろう。
後者では「そして自分はその世界に、飛び込もうとしているのだ」と続き、美紀はしばらく夜の世界で過ごすことになるのだが。
上記の異様さは、物心ついた頃からうっすらと感じていた。夜の世界で、女性に声をかける男性の描写は「いやいや、現実にはもういないよ」と思いたいところだが、自分が会社勤めしていた頃、言葉として吐いてなくとももうアウトな、女性を対等に見ていない男性社員を知っているから、その記憶と重なってげんなりした。
もう1人の主人公・榛原華子の友人、相楽逸子と美紀の会話にもハッとさせられる。女性にまとわりつく「女同士で仲良くできないようにされてる」という価値観についてだ。
劇中、逸子は、若い女の子とおばさん扱いを受ける女性のくだりにくすりと笑ってしまうのだが、そのことを著者はこう表現する。
女性の年齢差別に対する唯一のリアクションは笑うことだと、体に染みついてしまっている。
多分、状況によっては私も笑って誤魔化すと思う。こういう読者に対して気づきを促すような描写が、この作品の中にはいくつも散りばめられている。
やんわりと元気をなくすような、厚い壁への失望がただよう描写は少なくないが、美紀の冷静な人物像に励まされる。美紀は東京の闇も地方の闇も知っている。レベルの違う結婚式に参列した美紀は、「貴族」と自分の格差を真に実感しながらもこう思うのだ。
なーんか地元に帰ったみたい。
クローズドコミュニティ同士を比べると、「貴族」だったり「東京」だったりと違いがあるが、クローズドコミュニティの中の人間模様はどこも似通っている。それを気づいた美紀のさっぱりとした口調は、他人と比較してばかりな心を軽くしてくれる。
著者がどこまで意図的に書いたのかはわからないが、世襲議員や政治の世界への批判ともとれる描写も好きだった。
288ページで、青木幸一郎の「誕生」を見つめる華子の心理描写は読んだ時、彼女と同じようなそら恐ろしさを感じると同時に、そのようなものの「誕生」から、抗えるのなら抗おうと心の底から思ったのだった。
映画も好きです。