ここ最近思っていたこと、決めたこと。

くだらないことだと分かっていながらもやってしまうことがある。それが「いいね」の確認だ。つい先日、インスタグラムにドローイング作品と制作途中の作品をアップした。その時、ハッシュタグをつけなかった。そのおかげで、ハッシュタグの力がどれほどのものなのかを知ることができた。相互フォローしていてオフラインでも面識のある人たちが「いいね」のアクションをしてくれた。全く知らない人からの「いいね」は激減した。私はそれを見て「作品を見て反応してくれる人がいるというのに何を欲張っていたのだろう」と反省した。

作品を見てほしい、仕事の成果を見てほしい、そんな思いが私にがある。

不特定多数の人にその思いを伝えるのにSNSなどは便利である。でも、私は、「いいね」の表記が同じでも、「いいね」に対する価値が人それぞれ違うことも知っている。私は、スマホに表示されている写真や画像を見ることなく、流れ作業のように「いいね」を連打する知人の姿を知っている。相手がどのような意図で「いいね」を押したのかなど、私は知る由もない。だから、もし私が、誰かが流れ作業のように押した「いいね」に一喜一憂しているのだとしたら、これほどバカバカしいことはない。

恥ずかしながら、私はこれまで、私自身がバカバカしいと思うようなことをやってきたのだ。

2020〜2021年の間、社会的に色々あって、オンライン上でのやりとりが増えた。これまでもコツコツと、自分の作品を色んな人に知ってもらおうとSNSやブログを更新してきたけど、段々と「私」が変わっていった。オンライン上での営業活動、宣伝とか、作品をアップする行為は、私にとってしんどい。むなしい。

作品を見せたくないわけではない。仕事の成果を発表したくないわけではない。だけど、その「場」がここ(オンライン、SNSなど)ではないような気がしてきた。猛スピードで進む今の時代、SNSでの発信を止めたらあっという間に忘れ去られるだろう。でも、私はそもそも、そこまで知られていないわけだし、止めようが止めまいが大多数の人の心に留まるようなことはない。その上、大多数の人の心に留まることを望んでいるわけでもない。私はただ、本当に恥ずかしいことなのだが、私のやっていること、生き方に誰にも文句を言われたくないだけなのだ。「誰にも〜されない」「誰も〜しない」なんてことは起き得ないと知っておきながら。

先日、ハッシュタグをつけずに更新してみてよかった。画像を貼らずに投稿してみてよかった。私はとにかく自惚れ屋なので、恥ずかしい思いをできて本当によかった。かつて好きだった先輩がかけてくれた言葉を私は忘れていた。

「誰もお前のことなんか興味ないから」

全くもってその通りで、私はそれを忘れていたことを恥じなければならない。

 

<決めたこと>

  • SNS投稿を一時停止する
  • 思ったこと、考えたこと、作品公開の場のお知らせなどはブログに一括する

 

「好きなことを続ける」を一番大事にするために、それ以外のことで自分が納得いかないこと、苦手なことを一旦やめてみる。