『ミスター・ガラス』を鑑賞後のわたしの感想はこうだ。
今日わかったこと。
— Kho_K@Writer&Painter (@Kho_TOKYO) 2019年1月18日
M.ナイト.シャマランは定期的にすべる。
いちいち脱ぐマカヴォイは良かった。
— Kho_K@Writer&Painter (@Kho_TOKYO) 2019年1月18日
アニヤテイラージョイは相変わらずかわいかった。
ブルースウィルスはおじいちゃんになってもがんばるし、サミュエル・L・ジャクソンは一張羅を着るとかっこいい。
そんな映画である。#ミスターガラス
つまらなかったわけではない。でもものすごく面白かったわけでもない。M.ナイト.シャマランがやりたかったヒーロー映画を”傍観”することしかできなかったような感覚だった。
置いてけぼりをくらったようだった。
※一部ネタバレあり。また映画『インターステラー』が好きな人が不快に感じるような文章が出てきます。
ミスター・ガラス
あらすじ
フィラデルフィアのとある施設に、それぞれ特殊な能力を持つ3人の男が集められる。不死身の肉体と悪を感知する力を持つデヴィッド、24人もの人格を持つ多重人格者ケヴィン、驚くべきIQの高さと生涯で94回も骨折した壊れやすい肉体を持つミスター・ガラス。彼らの共通点は、自分が人間を超える存在だと信じていること。精神科医ステイプルは、すべて彼らの妄想であることを証明するべく、禁断の研究に手を染めるが……。
2000年に公開された映画『アンブレイカブル』と、2016年に公開された映画『スプリット』に登場するキャラクターが一堂に会する、M.ナイト.シャマラン流、異色のヒーロー映画である。
置いてけぼりをくらった感覚だった
出典元:https://www.fashion-press.net/news/44519
特別な能力(不死身、多重人格者、驚くほど高いIQ)をもち、自身を”特別な存在”だと信じている登場人物たち。彼らに対して、今作で登場する新キャラクター精神科医ステイプルがそれを妄想だと証明しようとする。
映画全体がヒーローという存在を否定しようとする、マーベルコミックスやDCコミックスの原作が次々映画化される世で、思い切った映画であった。
が、その思い切った設定についていけなかったわたしは、置いてけぼりをくらう。
前2作を観ていなければならない苦しさ
まず、前2作を観ていなければ誰が誰で、誰がどんな能力で、というのが全く伝わらない仕様である。これは、シリーズが続きすぎて新規参入者が追いづらいマーベル映画への皮肉か?
おそらく『アンブレイカブル』と『スプリット』の間につながりを感じられなかった人、前2作に深い思い入れがなかった人にとっては「何が何やらさっぱり」映画になってしまったのではないだろうか。
登場人物喋りすぎ
そもそも登場人物全員が喋りすぎである。
「そのセリフ言わなくても大体察すよ」というセリフまで喋る。「誇大妄想が研究対象」という説明をすれば、「特別な力を妄想だと証明してみせるわ」というセリフを3回も4回も話さずとも観客は理解できると思う。
セリフが多い割に、そのほとんどが「嘘・・・だろ」「そんな・・・ことって」的セリフが多く、だったら無言の演技でよかったんじゃないかと思ってしまう。
喋りすぎなのに全然頭に入ってこない映画といえば『インターステラー』があるのだが、あの作品は専門用語を羅列するばかりで全然頭に入ってこないセリフが印象的だった。理解してもいないのに横文字を連発する感じ。
今作も、精神科医”っぽい”セリフや喋り方を連発するのだが、腑に落ちない状態が続くのだ。『スプリット』に登場した精神科医フレッチャー博士(ベティ・バックリー)のほうが、映画に登場する精神科医として受け入れやすい佇まいだった。
大どんでんを狙い、すかし、結局特にない
それからM.ナイト.シャマランお得意の大どんでん返しも特にない。今考えると「大どんでん返しがないという大どんでん返し」というオチだったのかもしれないが、映画はぬるっと始まり、ぬるっと終わる。
IQがクソ高いミスター・ガラスが「悪さをしないように鎮静剤漬けにされてる」と説明されても、そんなわけない!とすぐに思ってしまう。
ミスター・ガラスが頭使えなくなってる描写を何度か挿入していたが、彼がそう簡単に知能を封じ込まれるわけがないことはすぐ分かる。映画『アンブレイカブル』をあまり覚えていない人、実は『アンブレイカブル』観てない人でも見破れると思うよ。
こいつがそんな迂闊なわけないじゃない!
善悪をなくす中立派が悪にしか見えない
ネタバレすると、精神科医ステイプルは「ヒーローがいれば悪役がいる」「悪役がいればヒーローがいる」という世界を正す、均衡な状態に戻す中立派の人間で、ヒーロー側のデヴィッドも、悪役側のケヴィンもイライジャも殺す。
「彼らははじめから存在しなかった」が目的だったのだ。
が、そんな彼女たち秘密結社(?)の描写が絶妙に”悪”に見えるのだ。きな臭いというか、「善も悪もないのが一番よ」っていう悪役いるじゃないですか、たまに。あんな感じなのである。
だからわたしとしては「いや、お前、だいぶ悪寄りじゃねえか」と。
そもそも精神科医ステイプルが最初っから「こいつ絶対精神科医じゃない」感満載だ。
ケヴィンに会いたがっていたケイシー※1に否定的かと思えば、彼らが相思相愛だとわかった途端「力を貸して」と言ってくるキャラクターのブレとか※2・・・あんたが一番不安定だよ!!!
※1『スプリット』で誘拐された女の子で、唯一襲われなかった子
※2もちろんステイプルの狙いは「彼らははじめから存在しなかった」なので、ケイシーが多重人格を統一することができる鍵となれば、存在を消しやすくなるのは事実。なのでブレてるのではなく「ケイシーを利用しようと思い立ったから」ってのは分かる。分かるけど、敵か味方かわからない描写を繰り返しすぎるのは効果的じゃないよなと思った。
それでも役者陣が大好き
時々鑑賞中のわたしの頭が「一体何を観せられているんだ・・・」と困惑してしまったが、それでもやっぱり役者陣には見とれてしまう。
- ジェームズ・マカヴォイの多重人格者演技は圧巻
- アニヤテイラージョイはめちゃくちゃ可愛い
- ブルース・ウィルスは相変わらずすごくいい人そう
- 一張羅を身につけたサミュエル・L・ジャクソン、かっこよすぎ
最強の人格「ビースト」を呼び寄せるたびに服を脱いで上裸になるシュールな演出には笑うが、ジェームズ・マカヴォイの芸達者っぷりはすごい。サミュエル・L・ジャクソンはかっこよすぎ。紫色の細身スーツを着こなせる男はそうそういないぜ。
唯一無二のヒーロー映画とも言える
わたしは2時間、M.ナイト.シャマラン流ヒーロー映画を淡々と鑑賞”させられた”気分になった。彼の描く世界観を”傍観”することしかできなかった。つまらなくはないが受け入れられない。そんな状態の2時間だった。
だってヒーローと悪役が戦う前に全員殺される展開って、前衛的すぎない?挙句ヒーローでも善悪でもなく、宇宙の真理を説いちゃったシャマラン。彼が描くヒーロー映画は、人類にはまだちょっと早かった。
ただ、唯一無二のヒーロー映画であることは間違いないんだろうな。
わたしはラストシーンを受け入れられなかった。が、人によってはあのラストシーンこそ、ヒーロー映画の真骨頂だと捉えるのかもしれない。
ぜひあなたなりの解釈を。
では。
◆本日のおすすめ◆
観直したら、感想が変わるのかもしれない。
個人的にお気に入りのシャマラン映画はこれ(↓)。