私が「好き」なもの・ひとは私を別に好きじゃないし、私が「得意」なことは私を殺す。

と思ってる、過去の色々な出来事から。

いつからだろうか。私が「好き」なことと私に「向いている」ことが一致していないことに気づいてしまったのは。それがほんの少しも受け入れられなかった頃は本当につらかった。私が「好き」になっても、その対象は私に何かを与えてくれるわけではない。本来、ものもひとも、それが当たり前だとわかっていながら、そのことを受け入れられなかった。悔しかった。こんなに「好き」なのに、なぜうまくいかないのか。

私に「向いている」と思われる事象についても向き合うのが大変だった。「得意」だからと、一生懸命取り組みすぎると私の心が死んでいく。「向いている」から、「得意」だから、「好き」じゃなくても、こっちの方が私に求められていることなのだと、言い聞かせながらやっていくうちに、どんどん心がやつれてきて、最終的には殺される。

分かっているとは思うけど「殺す」「死ぬ」は比喩だ。でも、その表現がちょうどいいんじゃないかと思えてしまうぐらいには心が沈むことがあった。

この悩みはいまだに解決していない。

今でも、私の「好き」は私に振り向いてくれないし、私の「得意」は得意なだけで、楽しいと口では言うものの、「好き」ほどじゃない。うん、全然「好き」ほどじゃない。

ものに対しても、ことに対しても、ひとに対しても、「好き」はこんなにもつらいものなのか、と時々愕然とする。好きも嫌いもない、そんな人は無気力なのだとほんの少し決めつけていた。でも今は、好きも嫌いもない、「普通」が羨ましくもある。あまりにもしんどい時には。

 

少し疲れて、だから今思ってることをそのまま書き連ねてみた。

仕事も勉強も将来も、先を見据えようとすると不安でいっぱいになる。

つらすぎる時には、今、ここ、この瞬間だけに目を向けるようにする。言い飽きて、聞き飽きて、本当はもうあまり発しくもないと思っていることが意外だったけど、明日死なない確証はない。すべてにおいて。

この悩みが解決するのは、本当に、死んで無に返した時だけだろうな、きっと。