こんにちは、齋藤吐夢です。
男性って魅力的。
ジェンダーやセックスについてよく考えるのですが、男性って活動的で見るからに人に好かれそうなタイプだけじゃなくて、全く何をやらせてもダメなタイプなのに人に好かれたりしますよね。女性ってあんまりそういうことない気がして。
『夫婦茶碗』
あらすじ。
“金がない、仕事もない、うるおいすらない無為な日々を一発逆転する最後の秘策。それはメルヘン執筆。こんな<わたし>に人生の茶柱は立つのか?!あまりにも過激な堕落の美学に大反響を呼んだ「夫婦茶碗」。”
あらすじ、ほんとに、そのまんま。
表題作「夫婦茶碗」に登場する主人公の男性も、「人間の屑」に登場する主人公の男性も、本当にダメでダメな男だと思います。明らかに、そう思うのに、読み進めるとにやついて、終いには惚れてしまうんです。悔しくてしょうがない笑。だから共有したい笑い。
哀愁、通り越してダメ男
何がダメって、なんだろう、まっとうに働く気が起きていないこの男の低堕落っぷりが、ダメというかもうはじめから潔すぎてかっこいいというか、この世に絶対いるんだろうな、こういう人間というほど、突如として仕事に飽きてしまうのが素敵笑。
仕事をやり始めた時は、そのやりがいに関して「ときめいてる?!」てほどの愛を抱えて仕事に取り組むのに、大体「夫婦茶碗」も「人間の屑」も3日くらいで飽きてしまう笑。仕事をばっくれて、こじゃれた場所で外食して煙草に酒とくる。
だけどなぜだかしっかりと女性は愛していて、大切にしようと必死な癖に、冷蔵庫の卵入れに入れる卵の賞味期限のことでカリカリしたりするのです笑。
でも、この男が滑稽で堕落していればいるほどかっこいいのはホントなんで?!
ギャグ、通り越してダメ男
町田康さんの文体がもう独特すぎて、話が脱線しかけて頑張って戻ってくるあたりは、川上未映子さんの初期の小説にも似ていて、非常に面白いのだけれど、その独特の”行ったり来たり文章”の合間に差し込まれるしょうもないギャグがほんとしょうもなさすぎて胸に沁みる。
米がナイチンゲール。
お米がないくらい、金もなく、職も食もないぜ、って時に「米がナイチンゲール」はもうしょうもなさすぎて切なくて、こんな旦那さんが目の前にいたらいつだって罵声を浴びせてしまうのだろうに、無性に惹かれるから悔しくて悔しくて!笑。
気合、通り越してダメ男
主人公の語り口、ギャグに関してもとっても面白いんだけれど、一言、一言、ダメ男の発する気合がへなへなへな~と力が抜けてしまうほど、これまたしょうもない。でも、それがいい。
“夫婦茶碗に二つながら茶柱を立ててみせる。わたしは負けない。茶柱。頼むよ。立ってね。茶柱。
立ててこます。”
立ててこます。
腰が抜けちゃうほど、へなへな。でも、この気合の入れ方が気合通り越してやっぱりダメじゃねえかっ!ってツッコミたくなるのに、なんだろう、いつまでも頭に残るのよね。応援したくなるのよね。
過激な堕落の美学が足りない!
私はこの『夫婦茶碗』に収録されている「夫婦茶碗」「人間の屑」ともに本当に心底惚れ込んで、こんな男性に出会ったら好きになっちゃうし、むしろこんな堕ちに堕ちた男性になりたいし、と思ってしまって。
でも、この堕落の美学はどう考えたってキリキリしている現代社会に足りないものだと思う。このくらいゆるんゆるんの人がもっと社会にゴロゴロしてたっていいじゃん。こういう人はこういう人だと割り切って付き合えばいいのに、なぜだか皆ハエ叩きやもぐら叩きのごとく堕落している人間をたたきつぶし、その割に堕落へのあこがれを語りながらキリキリ生活を続けるわけでしょ。
ちゃんちゃらおかしいよ!
私の大好きな『しないことリスト』や『220代で隠居 週休5日の快適生活』とはまたジャンルは違えど、現代社会に足りない心にゆとりを持たせてくれる“いい意味での”・・・いい意味での、っていうのもなんだか奇妙だけど、堕落バイブルです。
では。
◆本日の一冊◆