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【体験談】採血の時、看護師さんに「血管細いんです」プレッシャーをかけるのは止めよう!

体験してみた 体験してみた-やってみた

こんにちは、齋藤吐夢です。

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血液の病気になって以来、採血頻度が圧倒的に多くなり、採血慣れの甚だしい齋藤吐夢です笑。今日は採血を受ける際、看護師さんにプレッシャーをかけないようにしよう!というお話をします。

 

看護師さんへの声かけ注意

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採血の際、

 

「私血管細いんですよ〜」

「なかなか血管が見つからなくて」

 

などという謙遜(?)は採血を担当する看護師へのプレッシャーになるのでやめたほうがいいと聞きました。

 

この情報は恐らくtwitterか何かを経由して知ったものです。もちろん後にも書きますが、「患者さんのそんな言葉で動揺せんわ!」って看護師さんもいることでしょう。

しかし私はそれを知って以降、思ってもできるだけ言わないようにしようと努めるようになりました。

 

でも実際、この謙遜(?)台詞を言わなくなっただけで、ここ数回、採血で失敗される率が減ったので、プレッシャーをかけない方が良い!というのは事実なのだと思います。

 

血管が細すぎて

事の発端は、私の血管事情にありまして。私の家系、特に女家系は祖母、母、私と自他ともに認める、血管細い家系なものでして。私自身の体に皮下脂肪が多いのも原因の1つですが。

そんな家系だからこそ(?)注射失敗率も高く、祖母も母も私も、採血の定番である”ひじの裏”から1発で採れる経験が少ないのでした。

 

血管細い申告がプレッシャーに

私は血液のがんに罹ってしまっていたので、いかんせん血液検査は必要不可欠です。ただその血管の細さと連日の採血によって、血管が逃げるようになりました。あれ、面白いですね笑。

刺される私でも分かるぐらい、それはもう、よく逃げる。それに加えて血管は細い。だから看護師さんが唸る。血管は見つけにくいし、刺せば逃げる。

 いつしか失敗率が高くなったことが、私にとって精神的な負担になっていたのでしょう、今思うと。それからというもの、

 

「私、血管細いんですよ」

 

申告をするようになってしまいました。

 

このことは、私にそのつもりがなくても、潜在意識的に「失敗するんじゃねえぞ〜」と看護師さんへプレッシャーを与えていたとも言えるでしょう。

毎度お決まりのように、「すいませんね、血管細くて」「見つけにくいんですよ」「よく逃げます」とジョークのつもりで伝えていました。

が、要はそれがプレッシャーとなり、失敗率に影響していたんですよね。結果的に。

 

ここ数回の体験から

明くる日かTwitterか何かで見かけた「血管細い申告はプレッシャー」という内容で、はっと気づいた私は何も言わなくなりました。

もしかしたら看護師さんを過度に緊張させ、失敗させてた原因は私の言動なんじゃ・・・と。

実際看護師さんはプロですから、そんなことで動揺なんてしないとも思うのですが、採血は今人が人のためにやっている仕事です。感情が影響しないとは言い切れません

 

そこで採血する時に何も言わないようになったのですが。

 

 

まあ、

 

驚くほど

 

1発で終わる!

 

 

しかも、絶対にちゃんと血がぴゅーっと出る!今までは唯一させる血管があまりにも細すぎて、すっげー時間がかかってたんですよ(しかも血液がんの検査は採る量が多い笑)。

 

それがあっという間に終わる。

 

人の仕事だからこそ

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先にも言ったけど、看護師さんは医療に携わるプロだから、多分実際は「患者さんの一言で動揺なんてするわけないじゃない!」って人の方が多い気もする。

だけど、採血は現段階では人の手で行う仕事であって。人がやるからこそ、患者さんに気を遣って丁寧に採血してくれるんだろうし。

人がやるからこそ、実は「血管細い」プレッシャーによる動揺を隠しているだけなのかもしれない。

 

私なんて、注射はそもそも嫌いだし、機械に特に申告もなしにぶっ刺される未来も嫌だし笑、でも人にされるから「良い」ってわけでもない。

 

でも人の仕事だからこそ、その人の心をわざわざ揺さぶる必要はないよな、とも思った。とにもかくにもココのところ、申告しなくなってから5回以上は1発刺しで済んでいる

 

というわけで、採血の時、看護師さんに「血管細いんです」プレッシャーをかけるのは止めよう!

では。

 

◆本日の一冊◆

通っている病院の寄付図書にありました。ハマりました。

習慣そのものに効果があるのだ!サプリメントを飲み続けることで、現在セルフ人体実験中

体験してみた 体験してみた-やってみた 考えてみた 考えてみた-体と心

こんにちは、齋藤吐夢です。

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「心身ともに健康に」を掲げながら、今日も生きているし、ブログも絵も写真も何もかもこれをテーマとして一貫しようと決心した昨今、健康に対する努力は続けています

 

それが例えばサプリメント習慣です。いや、市販のサプリメントにそこまで強大な力を信じていいのかと思えば疑問でもありますが(じわじわ効くしね)。

ただ、やっぱり結局のところ、飲むという”習慣”が大切なんだと思っておりまして。

 

サプリメント飲んでます

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きっかけは自律神経失調症が最大に悪かった時。神経が狂ってんのか、本当に体が悪いのか全然分からないくらい、吐き気とめまいが治まらなかった時が一時ありまして。

 

がんの定期検診を3ヶ月に1回は受けていたので、病院曰く血液に異常はない。しっかし、立ちくらみはすごいわ、椅子に座っていてもたまにクラクラするわで。近くの内科に言っても「異常はない」って言われちゃあ、もう精神面しかないですわ笑。

 

そんな時、夫が提案してくれたのがサプリメント習慣でした。たかがサプリメント、されどサプリメント

これで少しでも体の状態が良くなるなら医療機関へかかるよりよっぽどコスパが良い

 

効果を自覚できるのか?

元々、サプリメントに対する私の考えはものすごく疑心暗鬼で笑。

サプリメント漢方薬「私、元気!」って実感できるまでの時間がどうしてもかかる。私にそれが待てるのか?!って思ってました。

 

が、確かに「試す前からやらない」と決めてしまっては、いつまでたっても効果なんて得られるわけもない

しかもコスパ面を考えると、確かに大きな病気して一気にお金がどーんとなくなるくらいだったら全然安い。足りてなさげな栄養素を補うだけで済むなら全然お得。

 

だから私は今、絶賛セルフ人体実験中です。

多分半月以上は経ったでしょう。プラシーボ効果もあると思いますが、「飲んでんだから、大丈夫!」という自信はつくようになりましたよ笑!

 

飲んでいるサプリメント

私が飲んでいるサプリメントは、キューピーコーワゴールドα-プラス 160錠ディアナチュラ 鉄・葉酸 60粒です。

 

↑キューピーコーワは、パソコン作業が多い私の”目”の健康のための気休めになってる。

 

ディアナチュラは貧血防止です!これもまあ、気休めだけど!!!

 

血液検査をするたび、「貧血でも何でも無い」と伝えられるものの、赤血球数は最低値にほど近いものですから、足すに越したことは無いんじゃないかという発想。

 

ちょうど明日定期検診があるので、ちょっとでも変化があったら説得力あるな、と思っております笑。

 

”続ける”に意味がある

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ただやっぱり一番大事なのはサプリメントを飲むか否かではなく”続ける”ことであって、勉強も筋トレもそう、何かを身につけるためには継続が必要だと知りました。

 

心身の健康も学業も筋肉も何もかも、自分を信じて続けることができなきゃ人は何もできない、結局は

今まさしく私がやっているセルフ人体実験の結果は、鉄・葉酸サプリが60日分だから、来月末あたりで第一回目の判断が出来そうです。

 

結果論になってしまうからこそ、成功者を非難したがる人が世の中に存在するのかもしれない。でも結果が出る前に諦めたら、やっぱりそりゃ成功するわけなくて

 

だから、今回は心身の健康をテーマにサプリメント飲用に挑戦しているわけだけれど、60日間は最低でも続けてやろうと思ったんだ。

そしてきっと飲み続けている事実だけで、もうすでに健康を意識している人の仲間入りさ!

 

習慣って大事

習慣がもたらしてくれる結果って本当に面白いもので。

突然ピアノの話になって申し訳ないけれど笑、私は趣味がピアノなのですが、アマチュアレベルとはいえ『子犬のワルツ』が弾けるようになりました。


ショパン・子犬のワルツ(ピアノ)高音質/クラシック

もちろん動画ほどスラスラは弾けないけど、指を動かし続けたから弾けるようになったのであって。

ピアノを習っていた時期の私は練習をさぼってばかりいたから、『エリーゼのために』さえ弾けなかった。でもそりゃそうだ、練習を続けていないのに弾ける方がおかしい

 

ということは、サプリメントを飲む習慣も、ライターとして記事を書き続ける習慣も、ブログを書き続ける習慣も、絵を書き続ける習慣も、その習慣自体に意味がある

 

習慣自体に効果があるのだ

 

なんかチャレンジすることに臆している人、私のサプリメント習慣みたいに健康面への自助努力でも稼ぐ努力でも何でもいいから、とりあえず続けることをおすすめしたい

いや、マジで。

では。

 

◆本日の一冊◆

継続するためには、心の支えになるものがあるのも、大切。

共感力に絶望する。共感は、自分を壊す原因にもなりうる。共感力のない人は、その自覚すらないし。

考えてみた 考えてみた-体と心

こんにちは、齋藤吐夢です。

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今、絶賛、家族について大悩み中です。私の家族ならまだ全然良いのだけれど、夫の家族の話に深く関わらなければならないのが厄介で、厄介で笑。

「それが結婚だから」と一回夫や私の両親に言われましたが、あの時「じゃあ結婚しなきゃ良かった」と言い放って、猛烈に驚かれた(結婚後1ヶ月で発言)。そりゃそうか。

 

私が何よりも嫌なのは、自分が持っている「共感力」で。これが他人の役に立っていると感じることもあるけど、大体は私の心を毎日少しずつえぐっていく原因でもあって厄介だ。

 

共感力など要らない

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正直私の激しすぎる「共感力」は放棄できるなら一番放棄したい能力だと思っている。

もちろんこれが私を私たらしめる確固たる特徴なのは分かっているし、これのおかげで接客業は抜群に得意だ。

 

でも、要らない。

 

コトの発端は

今次に住まう家について議論が発生しているのだけれど(引っ越したの12月なのに!)、夫の家族の意図が私には丸見えで、それでいて夫の意思も汲み取れる私にとって、完全な板挟みで苦しい

しかも夫と夫の家族は互いの意図を全然汲み取れていないから、全然関係のない私だけが双方を理解していて、それがまた難儀さを増す。

だって結局意見を言い合えるのは彼ら”家族”なのであって、所詮”他人”な私は口出ししたところで角が立つのだから

 

ということで昨日から悶々と悩んでいる。正直言って、私の家族とも夫の家族とも離れたところで暮らしたいんですけど、と思う笑。

 

KYならどんなに楽か

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一昔前にKYという言葉があって「空気読めない」の略だったけど、結局気を病まずに済むのはKYばかりで、空気が読めて良いことあるのか?と思うことしばしば。

いや、もちろん波風立たせないためにはKY”ではない”人の方がいいだろう。でもずっと空気を読み続けることは、人によっては自分ばかりが消耗する大原因になるから不安でならない。

 

不安の対象というのは「病気になる」ということだ。

多分私の夫はKYだ。私の父もKY。私の母は空気を読みすぎ。娘の私は父の血を少しもらっているからこそ、空気を読めるがあえて読まないなんてことならした(性悪)。

そこで、結果論ではあるけれど、精神面全てがつながる話とも思わないけど、夫と父は健康そのもので、私と母は病気持ちだ

 

これが何だか皮肉に思えて仕方が無い。

 

が、病は気からマジな話だ。

 

マジな話。私は、ストレスの原因となる職場から離れた瞬間に元気そのものだ。それは嬉しいと同時にやっぱり皮肉だなあ、とも思う。

気遣いまくって病気になって、人との接触を絶ったら元気になるってさみしすぎない笑?!

 

気を遣えば遣うほど

相手への気を遣えば遣うほどに、自分ばかりが消耗する。この使い方を間違えた「共感力」本当に厄介でならない

 

でも性分として染み付いているから、見知らぬ他人ですら共感してしまう。

 

「多分今私の近くで歩いている人は、私の速度を遅いと感じているから端に避けよう」そう思って避けると、「マジ邪魔だったよ」と言わんばかりの勢いで駆けていく他人。

「席譲ってほしいんですけど」プレッシャーとか、「ちょっとお尋ねしたいんですけど」オーラとか、分かるけど無視することがある。申し訳ないけど、その対応でしっかり疲れるから。

 

でも本当だったら

気づきたくもないんだ。

気づくだけで疲れているから。

 

皮肉なことに

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会社に勤めていた時にも思ったけど、皮肉なことに「共感力のない人」共感力どころか自覚すらないから、恐ろしいなと思う。

セクハラ・パワハラ講習を会社で受けた時、セクハラ・パワハラの事例を見た瞬間に声をあげて笑ったのがセクハラ・パワハラで会社から目をつけられているおっさんだった時に恐怖だった。

 

結局共感できる側が、気を遣うことで自分の身を守らないとハラスメントの解決につながらないのだと絶望した。

あのおっさんはきっと今も自覚せぬままガンガンハラスメント街道を突っ走っているのだろうと思う。

 

天然の人が自覚していないのは可愛いのに、KYや共感力の無い人の自覚の無さが恐怖なのは何故だろう。やっぱりそれは他人への害の大きさなんかな。

皮肉なことに自覚がない人の存在をまた私が理解しているから、気をもみまくりで。

 

唯一精神面の気遣い全てを放棄できるのが、何もできなくなる鬱の時とひどい生理痛の時だけって虚しすぎない笑?!

 

なんて思ったりして。

ふぅーう、”他人”って悲しいけど楽だったんだな。虚しいな。

では。

 

◆本日の一冊◆

 ”他人を平気で”って言う部分の自覚が、迷惑な人達にはない。

一つの結婚観。結婚相手は好きな人ではない。好きな人と一緒にいられるわけがなかった。

考えてみた 考えてみた-男女

こんにちは、齋藤吐夢です。

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今日夢の中に、好きな人が出てきました。今でも好きなことに変わりはないので、その「好き」という感情を整理するために、脳みそが夢を見させたのでしょう。

私は結婚していて、夫がいて、夫が大切なことに変わりはありませんが、正直”好きな人”ではありません。もっと言っちゃえば、外見面も内面も、何方かと言えば好きではない。

 

結婚相手は好きな人ではない

夫側の視点に立てば失礼極まりない話なのは分かっていますし、実際一度「失礼だ」とはっきり怒られたこともある。

ただ夫に「思ったことは言え」と付き合った当初教育された時期もありますから、情け容赦なく「お前は好きなタイプじゃねえ」と吐き捨てることも多々あります笑。

 

でも、これは私の”好きな人”への対応が影響しておりまして。現実にはそんなこと起きるはずもないのですが、もしパラレルワールドが生じたとしても”好きな人”とは結婚できないと思ってます。

 

好きすぎて殺す

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私は人を好きになると、好きになりすぎて精神的ストーカーになります。

 

愛を押し付けます。

 

かつての私からすれば、これは「好き」という一つの表現で、「愛ゆえに」やっている行為でしかなかったのですが。

でも数名の男性と付き合って、振られ続けて分かったのは、愛の押しつけは全然愛じゃなくて、相手の尊厳を奪う行為に等しい

 

例えば”あなたを思って”部屋を片付けた、”あなたを思って”料理をつくって待っていた、”あなたを思って”今何しているか確認した・・・

 

”あなたを思って”と思っているのは、私側でしかなくて、誰も頼んでいないことをやっても喜ばれる確証なんてないくせに、「”あなたを思って”こんなにやったのよ?!」と強いた過去が本当に醜くて。

 

好きな人と一緒にいられない

こんな気質で相手を傷つけて苦しめた経験があるからこそ、好きな人とは一緒にいられるわけがないよな、と思いました。

 

好きが重すぎて、好きで相手を傷つけることの醜さは、本当に今思い出しても反吐が出るレベルで気色悪いです、我ながら。

 

パラレルワールドとか過去に遡れるSF的な何かがあったら、私は私を捕まえて、「お前は彼を不幸にするから、彼から離れろ」と言いたい、マジで。

 

だから夫には失礼だけど、夫が私の”好きな人”じゃなくて本当に良かったと思う。

相手の身も自分の身も守れる。好き過ぎて押し付けて、自分よがりの愛で夫を殺さずに済むし、私は私で”好きな人”を失わずに済む。

 

夫が大切なのは嘘ではない

本当に文字だけ書くと、夫のこと「嫌いなのか」と問われそうですが、嫌い:好き=9:1くらいです笑。

 

でも夫が大切なのは嘘ではない

 

夫が事故や事件に巻き込まれて今日死んだとしたら、確実に心がぽっかりするのが分かっているし、巻き込んだ相手をぶっ殺してやりたいほど憎むと思うし。

 

”好きな人”ではない。私が自分と相手を殺すほど”好き”な相手ではない。だからこそ、私は彼と一緒にいられる今が幸せで、むかつくことの方が多いけど、それでも結婚して良かったと思う。

 

結婚は難しい

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だから「結婚ってどんな感じ?」って問われた時、夢がなくて申し訳ないけど、「平坦」と答えようと思っている。

 

ときめきはない。

結婚にときめきはない。

 

でも平坦だけど、しっかり幸せな日常を過ごすことができるのが結婚で。激しく燃え盛るような恋から発展した結婚は聞くだけでヒヤヒヤしてしまう。すぐ火が消えそうで。

 

あ〜気楽だな〜くらいがちょうどいいと思っていて、相手が”好き”か否かはマジでただのおまけで。共に暮らす、家族になる、その部分がなんとかなる相手が結婚相手だと思う。

 

この人、超好き!だから結婚したい!という結婚観は、少しでも結婚に不安の二文字が浮かぶ人にはおすすめできない

 

言葉は悪いけど、惰性で関係を結ぶくらいが安全な気がするぜ。

では。

 

◆本日の一冊◆

すーちゃんシリーズは、時々つらいけど好き。 

怒りと向き合うには。私が怒りを吐くことで誰かの心を支えたいし、負を正に変えられるなら変えたい。

考えてみた 考えてみた-体と心

こんにちは、齋藤吐夢です。

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 「怒り」という映画は、原作から精神的にキツすぎて観ることが叶いませんでしたが、予告編でナレーターが発する「怒り」というたった一言に衝撃を受けて、予告編No.1だと思ってます笑。

今回はそんな(?)怒りについてお話します。

 

嬉しい出来事があった

実はTwitterにて、私のブログを読んでくださっている方からコメントをいただき、

 

「怒り」に関する話はほんま頷く部分が多くて、勇気をいただいています。

引用元:https://twitter.com/i/notifications

 

というお言葉が本当に本当に嬉しかったのです。この場でもお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

とかく私の中には性悪な部分怒り感情渦巻く瞬間が多々ありまして。

そんな折、ドロッドロのその怒りをそのままブログに載せることで、誰かの怒りの代弁や不安の解消につながっているのなら嬉しいな、と思っていた矢先のことだったので嬉しくて嬉しくて。

 

先輩の言葉を思い出す

コメントをくださった方へも書いたのですが、私は大学院にいた時、仲の良かった先輩から「お前はなんか常に怒ってる」と言われました。

先輩は、私がすぐにぷんすかぷんすかするのをなだめてくれたのかもしれません。しかし私は怒りそのもの自分の存在意義に捉えられるなと思ったのです。

 

怒りと共に生きている

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怒りの感情は正直言って、あまり心地よくありません。怒りの矛先を間違えれば相手はもちろん自分も傷つくし、モノに当たればモノは壊れ、周りも自分も不快な思いになる。

でも怒りの持つエネルギー量ってとんでもないものだし、本当「魔法少女まどか☆マギカ」じゃないけど、少女の絶望ではなく怒りがエネルギーに変換できたらどんなに良いことか!とか本気で思うわけで笑。

 

怒りと向き合うのは

だからそんなエネルギー膨大な怒りと向き合うのは正直大変で。

冷静に怒りを分析するのはマジで難しいな、って思います。やんわり抑えられない。うーん、困る。

 

例えば私の場合怒りが厄介なのは、怒りが膨らんだ時に「なんでお前ごときに私が冷静にならなきゃならんのじゃ」がひょっこり現れ、より怒りが増大します笑。

上手な怒り方に「相手への怒りを真っ向からぶつけるのではなく、きちんと論じましょう」なんて書いてあっても、怒りが発生している時点冷静さは保証できない

 

感情任せにばーっと言ってしまって、結局双方「あーあ不快」になるやろし、それは分かっていても「あなたのこと、理解してますよ」なんて余裕、そもそもない。

というか、お前ごときになぜ私が余裕もって接さなければならんのじゃ!になるから困ったものです。

 

いや、分かってます。分かってますよ。大人になりきれない私も私です、もちろん。もーわがまま野郎です、私。分かってます、分かってます。

 

でもホント、電車の乗り降りの時に降りる人優先せんで、ガンガン人にぶつかりながら乗り込んでくる人は、後々降りたくもない駅で首ねっこ掴まれた状態で外に放り出されろマジで!って思うし、通り道に広がって、先に進みたい人を考慮せず、ちんたら歩く歩きスマホの人はそのまま奈落の底へ落ちて、首の骨折ってしまえ!って思う時あるし、痴漢とか強姦とか男女問わずそういう性的な犯罪を犯す人は不能になるように生殖器を丁寧に取り除いた挙げ句、自分がやられる側に立って存分に苦しめば良いし、殺人を犯して死刑求刑に感謝する人は、SFみたいに脳だけになっても死ねないような手術が行われて、延々自分にとっての苦痛を味わい続ける刑1億年とか求刑されればいいのに、と思う。

 

負を正に変えたい

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それで現在。

「常に怒っている人」という評価は、名誉あることでは全然ないと思うけど、私のこのめんどくさい感情を怒りそのまま負ではなく、正に変えたいと思った。

 

そんな私にはやっぱり”かく”しか方法がなかった。

 

ブログで怒りを書くということは、匿名性から不特定多数の誰かを傷つけることにはつながるかもしれないけど、誰かに対象を定めてわざわざ傷つけるという行為はしないで済む。

 

人によって怒りの向き合い方は様々だ。できるなら自分も傷つかず、他人も傷つかない方法を探りたい。

 

でもどんなことしたって、誰かに嫌われ、誰かを傷つけることくらいは分かっている。

けれどまた同時に、誰かに好かれ、誰かの傷を癒すこともできているなら、私のやっている「ブログで怒りを書く」も1つ正解だ。

 

怒りは”表現”する。やり場のない怒りを抱えているなら。ねえ、この考え、どうかな。

 

怒りと向き合うには

本当は上記のような話をしたならば、隣人を愛せよ的なことを言うべきなのかもしれないけど、そう簡単に人を許せるほど寛容な人間に私は出来ていない

例えば私は、もし大切な人が誰かに殺されたら、復讐する気満々だ。殺人犯を一番苦しい方法で殺してやろうと妄想する女だ。

 

そんな女だから、可能なら、5年前に私をがんにした”運命”そのものに復讐したい。 

 

でも、それはあまりにも非現実的な話だから、私は”かく”。復讐したい、殺してやりたい、怒りの負の感情をそのままドロドロ吐き出す”だけ”ならいいと思っている。

本当に復讐しなけえば、殺さなければ、実行にうつさなければギリギリOK。要するに妄想くらいならOK。そんなことを思う。

 

怒りを抑えろ、とは思わない

 

吐き出す怒りの方法さえ、自分と他人に合ったものを見つければ、それで良いと思う。怒るな、とは言わない。怒ったっていいんだもの、怒ることだってあるよ、人生。

だから、ね。

では。

 

◆本日の一冊◆

重すぎるけど、好きです。

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