いつかかならず人は死ぬのだから。どうせいつか死ぬのだから、生きる。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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怯えが過ぎるな、ここのところ。

私は常日頃から、死ぬことについて考えています。むしろ死について考えている時間が好きなぐらいです。

死ぬことは怖い、というか体験したことがないから、どういう気持ちになるのか分からないという気持ちでいっぱいです。でも憂いでいても仕方ないとも思ってしまう。

 

いつかかならず人は死にます。

 

人はいつか死ぬもの

誰かに頼まれた訳でもないのに、どこかで命が生まれては、どこかで命が消えているのであって。人はいつか死ぬものです。理由はどうであれ、死なないことはない

死の瞬間が、人生大往生な時もあれば、無念な時もあるから、死そのものを無理矢理ポジティブに捉えることはできないけれど、それでも”いつか死ぬ”前提は忘れたくない

 

期限を提示されても

身近な、大切な人の病気は、手術を終えても一生ものになってしまった。もしかしたら1年と経たないうちに再発するのかもしれないし、5年以上生きられるのかもしれない。

お医者様は神様ではないから、推測はできても100%当たる予言を言う訳ではない。長く生きられるかは”本人次第”。この言葉は、当事者には重くのしかかる言葉だけど、それ以外に適した言葉はない

 

でも、いつか死ぬ、その期限が提示されても、あと何年で死ぬ・・・と考えるぐらいなら、あと何年まで”生きる”を満喫してやる!と私だったら思いたい。

 

健康体だったとしても

例えば私はバカみたいに、5年以上前になった”がん”に取り憑かれて、怯えに怯え生きてきたけれど、実際はお医者様も驚くほどの健康体だ。

再発する人もいれば、再発しない人もいるのだ。私は再発していないのだから、何を憂う必要があるのだろう。そんなことを夜、ふと思った。

 

ただ私の死因が”がん”とは限らない。災害に巻き込まれて死ぬかもしれない。誰かに殺されないとも限らないし、しょうもない事故で死ぬかもしれない。

 

でも、どんな理由で死ぬとしても、”いつか死ぬ”というレールからは外れない

なら、どうせ”いつか死ぬ”んだから、今は、生きることを満喫した方が馬鹿馬鹿しくないんじゃないかと思う。

 

死ぬために思っていること

自分の身にも他人の身にも、いつかかならず死は来るのだから、理想の死に方について、要するに理想の生き方について、人はもっと考えていいと思う。

 

不測の事態に怯えるより

この話を書こうと思ったのは、最近あまりにも私自身が、死に対する不安感を抱えすぎているからであって。

つい最近に至っては、「遠くの海で何かが爆発するのが見えて、次の瞬間、死ぬ」という映画のみ過ぎみたいな悪夢をみてしまった笑。怯え過ぎにも程がある

 

でも、こんな馬鹿馬鹿しい悪夢が現実になる可能性は0とも言えないし、でもそんなことを言い続けていたら、恐怖と不安で、思い通りに体が動かなくなることも事実だ。

 

だったら”どうせ、いつか死ぬ”をベースに、毎日を充実させる努力をした方が懸命だと思う。

 

いつか死ぬから、生きる

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怯えが皆無になった訳でもないし、とりあえず生きようと決心しても、社会の役に全く立ってないような気がして追い込まれて、また憂うつになることもある。

 

それでも、いつか死ぬから、生きるしかない。

 

生きている人に課せられた課題である。

では。

 

◆本日の一冊◆

理想の死に方、理想の生き方。佐野洋子アネキ。