救いを求めるから本を読む。わたしにとっては読書が宗教。

まず、宗教の定義を調べなくちゃ。

神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団) を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教から、呪物崇拝・多神教などの形態を経て、今日の世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教などに至るまで、文化段階・民族などの違いによって多種多様。多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形でもつ。

引用元:『広辞苑』第四版、岩波書店、1991 年、1210 頁)

となると、読書が宗教ってちょっとおかしいのかな。

でも、わたしにとって、本や本を読むことが、“卑俗なものから分離され禁忌された神聖なもの”で、それを信仰※しているのであれば、読書が宗教って言ってもいいのかな。

1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。

2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。

引用:デジタル大辞泉 小学館

なんで、そんなことを言い始めたかというと、タイトルにもあるように、救いを求めるようにして本を読んでいるからである。

もう少し詳しく説明すると、救いを求めて、気になる本があると買ってしまうのだ。時たまに積読になってしまうこともあるが、基本的には、救いを求めて本屋へ行く→気になる書籍が目に入る→一瞬悩む→買ってる。

今、これまで大好きだった文章も絵もかけない時期が続いていて、救いを求めたわたしが買ったのはジュリア・ケラー/著、児島修/訳「やめる 最良の人生戦略」(日経BP、2026年)だった。直球すぎる。

しかし、手に届いた瞬間の「もしかしたら、苦しさを紛らわしてくれるかもしれない」「これから先を生きるヒントがあるかもしれない」という希望に満ち溢れた感じがやめられない。

たまに読んでみて「なんだ、これ」となってしまうこともあるが、大半はホッとする。

岸見一郎・古賀史健 「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社、2013年)とか、ナイジェル・ウォーバートン/著、月沢李歌子/訳「若い読者のための哲学史」(すばる舎、2018年)とか。最高だった。思い悩んだり、どうしようもなくなったりしたら、繰り返し読んでいる。國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(新潮社、2021年)もね。

ただ、少し本を買いすぎるきらいがある。予算編成を大幅に超えて本を買ってしまう月もあるから、たとえるならやや狂信的というか、カルト味が出てしまっているというか、現実的ではないお布施をしすぎているというか、ちょっと反省が必要。

それでも、救いを求めた先で「こんな生き方もあるよ」「こんな考え方もあるよ」みたいに提示されると(本の内容が腑に落ちると)「ああ、読んでよかった」と心の底から思う。読み終えて、良くてため息をつくことはままある。

わたしにとっては読書が宗教である。

少しカルト的に足を突っ込んでいるけど、もしかすると書くことや描くこと以上に、読むことを取り上げられたらすごく困るのかもしれない。そのぐらい読書が好きだ。読書はきちんと、大切な、大事な、趣味だ。本がなくなったら困る。