自己顕示欲と承認欲求

まず、辞書の定義から。

自己顕示欲:周囲の人々から注目され、そして認められたい、という欲求のこと。
出典元:実用日本語表現辞典

“往々にして「第三者の目には不自然・分不相応と思われる過度の自己主張」というような否定的なニュアンスを伴う。”ともある。

一方、

承認欲求:他人から肯定的な評価を受けたい、否定的な評価をされたくない、自分を価値のある存在だと思いたい、という欲求。
出典元:デジタル大辞泉

なるほど、私は承認欲求が非常に強い。ブログ上でも繰り返し書いてきたが、言葉を間違えているわけではなさそうだ。

しかし、自己顕示欲の項目にあるように、自己顕示欲の否定的なニュアンスかどうかを決めるのは“第三者”なので、他人の目から見たときに、私は自己顕示欲モンスターである可能性は十分にある。

 

なぜ、こんなことを書き出したかといえば、精神がまいっているときに限って、文章表現だったり、SNS投稿だったりが尖り始める(言葉が)、否、口うるさくなる、なんというか、喋り出しちゃうというか、要するに「助けて、皆」と声をあげはじめてしまう。

この自分の特徴は、自己顕示欲の“周囲の人々から注目され、そして認められたい”の“認められたい”な部分の気もするが、注目を浴びたいというよりはどうか拾ってくれ、そして少し話を聞いて寄り添ってほしい……が本音だ。そういう点ではやっぱり承認欲求が強いよね。

 

昨晩、というか昨日は精神的な疲労がセーブできず、また泣いてしまった。夫は飽き飽きしている。いや、飽き飽きして“見える”。子どもと一緒に寝ちゃったのは分かるけど、起きてきて、寝る前にハグをせがんだとき、ハグ中にあくびされたのにはちょっとこたえた。

夫と子どもの話しかできないぐらい、世界が狭すぎるのもいけないのだが。共依存というか母親の顔色をうかがいまくったあと、母が亡くなり、ようやく誰のことも気にせず生きれるかな、と思ったが、じんわりじわじわ母から夫にすり替わっただけで、これはどうにかしなければならない。

 

こういう悩みを書いてしまうのも、“否定的な評価をされたくない、自分を価値のある存在だと思いたい、という欲求”に他ならない。欲のコントロールって本当に大変。やめられない。本当にやめたいのかと問われたとき、考え込んでしまうのも怖い。

先日読んだ本に、幸せを感じられないと嘆く人は、はっきり言って不幸のままがいいか、幸せになる勇気がないだけ、とあって、ハッとさせられた。前者かもしれない。後者でもある。どうしたらいいのか。自分でもよくわからないまま。

 

誰からも言葉が返ってこなくてもいいから(仕方ないから)、それでもとりあえず、承認欲求モンスターにこのまま言葉を吐かせてください。今は、ここだけが砦なので。