すなわち、かつての私は陰キャであることを隠す、あるいは「陰キャではなく個性的なだけ」という今考えるとクソ恥ずかしい発想にもとづき、無理をして明るく振る舞おうとしていた、ということである。
当時の友人たちからは、「痛さ」を含めて“私”として見ていてくれたらしく、正直に伝えてもらった時には恥ずかしさで逝きかけたが、まあ、彼らは特別気にしていなかったらしい。気にしていたのは私だけ、ということだ。
私の過去は、そういうことばかりである。
振り返ると、私が通っていた高校は陽キャがたくさんいる学校で、とにかく明るかった。私はその学校に憧れ、アホなりに勉強し、点数だけでいったら散々だったが、ギリギリで合格できて、無事入学した。
この学校に入れば、陽キャになれる。そう思い込んでいたんだ、振り返ると。多分。んなわけないのにね。同じようなことができると思い込んでいた。
とはいえ、3年間のうち1年間は全く勇気が出ず、結構自由な学校で、服装とか崩しまくってOKだったのに、私は制服を正規のまま着こなしていた(当然ダサい)。で、勇気を出して、2年になってからネクタイ替えて、リュック替えて、なんか色々したんだが、行動原理が間違っているのだ。
個性的なことをすれば、個性的になれると思い込んでいたんだな。自分に自信がない限り、何も変わらないというのに。
加えて、その頃から双極性障害の気は出まくっており、気分のアップダウン激しく、友人にはだいぶ付き合ってもらった。非常に申し訳ない。
というわけで、高校に戻ったら、陰キャであることに誇りを持ちたい。別に、「個性的な振る舞いをしよう」としなくても、私は私であるし、根暗はそれは個性だし、本が好きなら大人しく本を読んでればいいし、別に周りの空気に合わせたほうがいいのか……?みたいな気持ちを抱く必要は微塵もない。
不慣れなことすんじゃねー、と自分に言いたい。痛すぎるから。35歳にもなって、落ち込むぐらい痛い記憶しかないのだ。それだったら、陰キャである自分を認めてくれ。頼むから。
あともう1つだけ。
高校生に戻ったら、もっと勉強頑張りたい。本当に。受験の時、理科・社会がボロボロだったのが、今でも響いている。勉強ができないのは微塵も恥ずかしいことではない。わからないをわかることは尊い。それをなんとかしようと努力するのも尊い。
一番良くないのは、わからないのに進めることだ。私はそれをやった。だから、何もわからない。わかってない。問題は解ける。でも、本質は理解できていない。何も。
基礎的な学力がないと、後々大変苦労する。
まあ、過去に戻れたらって考えても戻れないから、今を頑張るしかないんだけどね。