今週月曜日に書き仕事を2時間やって以来、ライスワーク(生計を立てるためにやる仕事)に触れていない。いうて、これを書いている今は水曜日だから、仕事をしていないのはたったの2日間なのだが。
私は2018年に開業届を出して、その1〜2年前ぐらいからライターという仕事をやり始めて、ブログに関しては2016年に開設しているはずだから、物書きに従事し始めて10年になる。
出産を経験する前、2025年頭までは、自分が延々やっていられることである「書くこと」で収入を得られるのがとにかく楽しくて、会社員時代よりは絶対に長時間労働をしない!とは決めていたものの、6時間くらいはず〜っと文章を書いていたし、日によっては、細切れながらも朝から晩まで書いていた。書いてきた分だけ仕事が増えたし、収入もアップしてた。
出産後、まず育児でスケジュールが組めないことを理由に仕事が減り、同タイミングで取引先の都合で仕事が終わり、今、たった1本しか仕事がない。出産してから1年ほどは、正直焦っていた。仕事が減ったこともそうだけど、仕事が思うようにできないこともそうだし、そもそも私は自分のルーティンが崩されるのがとても苦手だというのに、子ども(乳幼児)が子ども自身のルーティンで生きていることから、ペースを崩されまくって「やっていけんのか、これ」と思っていた。
ついでに愚痴るが、そんな中でも夫は絶対にペースを崩さないし、崩されないし、「子どもにつきっきり」という概念がないから平気でスマホを触るし、常に耳にイヤホンさして動画見てるし、元々全然仕事の方が好きとかのたまう人間だから全然人の話聞いてないし、そういうのもあって「はあ?!」な日々が続いていた。
ライスワークは激減し、ライフワークである画業もうまくいかない(時間を忘れて集中して書きたいのに、育児が待っている)。あまりのしんどさに数回爆発してしまった。冷静になって、私がほしかったのは共感や寄り添いだったのだと気づけたが、それを夫に求めても無駄だった。爆発してもスカされるだけ。とても虚しかった。
それで、環境を変えた。
子どもが生後半年を過ぎたあたりから、夫に夜の育児を丸投げし、寝室を分けた。文筆業の仕事場であり、画業のアトリエである自室に布団を敷いた。心が苦しくなる一方だったから、いくつかの画材、気に入っていない作品を処分した。本や生活雑貨、衣類など、自分のものをたくさん手放した。手元に置いておくと決めたものも、100円均一で買った何も書かれていない真っ白なフタつきの箱にしまって、視界に入らないようにした。元々備えられている収納にしまい、入りきらなかったものは、あらためて「いる・いらない」に分けて処分した。
そうしたら、ものすごくスッキリした。
部屋がスッキリしたのもそうだが、「ああ、そうか。小さな子どもと向き合えるのは今だけなのか」とか、「仕事は少ないけど、居心地のいい空間をつくれば、たいしてお金を使わずに過ごせるかもしれない」とか、「時間があるから、これからのことはゆっくり考えればいいか」とか、「たっぷり本を読もう」「興味があるから勉強してみよう」みたいな気持ちになれた。
焦りや悔しさ、苦しさがなくなったわけではないが、ごく自然に「まあ、いいか」な気持ちになっている。
雑にいえば、仕事もお金も好きなこともやりたいこともなくなりかけているのだが、不思議と人生詰んだ感じはしない。
むしろ、より哲学(?)的な考えが頭をよぎるようになった。これまでのわたしが「好き」だとか「やりたい」だとか言っていたものは、本当に好きなことだったのか、やりたいことだったのか、みたいな。自分自身が抱えている長年の課題に、たったひとりで向き合うのはつらく苦しいことであるが、同時に、それを好きなだけ、というか、いやというほど時間をかけて向き合える機会がきてしまったことは、これはこれなりに幸せなのではないか。
そんなこんなでまあ、大事な書き仕事は丁寧に時間をかけてやりつつも、それ以上仕事を増やそうとすることはなく、不用品を処分したり、ひたすら本を読んだり、画業のことは時々考えるけど、まだ心の具合が悪いので筆は置いたままで、それでも「まあ、いいか」な気持ちで1日を過ごしている。育児からの解放は当分先の話。子どもは可愛い。それは救い。
ただただ生きてる、それだけ。みたいな毎日になったけど、これはこれで幸せなのかも。
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