何でもかんでも夫に共有するのはやめよう。せっかくブログをやっているのだから。
先日、根本橘夫『「自分には価値がない」の心理学』(朝日新書、2016年)を読んだ。”極端”な事例ではあるが、と著者が前置きした事例を除くと、まるで自分のことが書かれているようだった。「“私”は“ここ”にあったのだ」と思うほど、私が感じていることのほとんど全てが記されていた。
そして、冒頭の件。
私は多分、今でもちゃんと夫のことが好きである。しかし、私が抱える「理解してほしい」という欲求を叶えてくれる相手ではないし、そもそもその欲求を叶える相手に据えてはならない。彼は彼の人生を歩んでいるし、なにより文字通り、他人に興味がない。私含め、人は他の人のことなど興味がない。その前提を理解しなければならないのに、私は今でも(今日も)、夫に自分がほしい反応を期待して、それが裏切られて、嫌な気持ちになってしまった。
だから、夫以外に共有すべきなのだ、何もかも。
口頭で伝えた時、夫は嫌な顔を見せていたが、これからの夫との関係は、子どもを養育するためのパートナーだと思う。子どもが無事に成人するまでの責任をともに負うパートナーだ。
子どもを養育するうえで必要な資金に関して、不安があるが、それは相手の資金力を私が把握できていないからである。しかし彼は、私がその不安を覚えて「人生設計を少し考えましょう」と提案してすべてを公開(私個人の全資産)した際にも、一切を見せなかった。彼は、お互いの財布を見たくないのだという。そしてそれが絶対に譲れない部分なのだと言っていた。
私には非がある。例え話として、裸を見せ合いましょう(提案)→そうしましょう(同意)→脱ぐ、という順序を踏まなければならないのに、提案して、同意が得られる前に自分だけ脱いだのだ。個人的には脱ぎ損だが、それは私がお互いの同意を得る前に脱いだからである。それは仕方のないことだ。そして、開示されなくても確実なのは、彼は私よりは資産があるということ。
私より資産があるのだから不安になる必要はない、と言い聞かせつつも不安なのは、彼にお金に対する堅実さを感じないからで、別にあればあるだけ使うタイプではないが、妙なところでケチで、その割にはケチってミスる姿を数回見ていたり、開示されていない分「児童手当ちゃんと貯金してるだろうなあ」と疑ってしまうぐらいには信頼できないのが本音だ。そうだ、だんだんと信頼できなくなっているんだ……。
冒頭で述べた書籍では、私がいちいち背負ってしまう罪悪感について書かれていた。きっかけは夫ではなく母親なのだが、母親が死んだというのに、私は母親といる時と同じような感覚を、今、夫といる時に感じてしまっている。夫の微妙な表情変化に怯えている。ため息とか語尾とか、彼が彼なりに私を思って提供してくれるもの(休みとか1人時間とか諸々)を素直に受け取れない。というか、これまでも、私が「いやだ」と言う→表情が曇る→私が「うん」と言えば、この状況が変わると考えてしまう→「いやだ」という気持ちを撤回して応じる、ことが何度もあった。これをどうにかして打破したくて、3ヶ月前くらいから月1でカウンセリングに通うようになったり、どうにかこうにか行動を変えようとしてみているけど、育児に気をとられ、自分のために使う時間が思うように取れず(ここにも罪悪感がある。罪悪感に負けて、子どもの世話しなきゃ、自分のやりたいことは後回しにしなきゃ、稼げなきゃ、とかそういうことを思っている)、いまいち変わることができていない。
それでいて時々思う。
そんなに、絶対、私が世界に合わせなきゃいけないのか?
だから、まあ、こんな風に、ブログに垂れ流すことにしたのだけれど。
まだ癖で、ことあるごとに「夫に共有しよう!」とウキウキルンルンで情報を集めて、いざ共有したときに全然興味を持たれなくて(というか別の話されたり、仕事や考え事で話聞いてなかったりされて)、定期的にショックを受けている。だけど、いいかげん、共有するのをやめよう。共有するなら、不特定多数の、読みたい人だけが読んでくれる場所で、たま〜に共有してくれる人がいるのを実感できる場所で十分じゃないかと。
あまり人と付き合うのが好きじゃないくせに、共有したいことがあるなんて傲慢にも程があるけど、別にそれを一番身近な人にやらなくたっていいのだ。むしろ一番身近な人に何もかも開示してきた私がバカなのだ。←この考え方も、書籍的にはNGというか考え方の癖が出ているっぽいが、毎回落ち込んでいるのに学習しないという点では本当にバカだということにする。
しかし、まあ、こうやって、相手に伝わるかどうか〜とか、文章構成が〜とかを一切考えず、書きたいことだけを書くのはこんなにも心地よいことなのか。これまで、どれだけ、苦しかったんだろう。ブログで発信することを選んだ割には非常に読みにくい文章で申し訳ないが、たまにはこういう記事を書こう。こうでもしないとやっていられないのだ、今は。
自分のことも、一番身近な人のことも、信頼できなくなってしまったが、きちんと休もう(仕事や家事・育児のことは一旦ドライに捉えて、自分が大好きな読書のような、純粋に興味のあるものに集中すること)。まだ当分、死なせてもらえないのだから。