2025年3月に親業を始めてから疲れ切ってしまった。
子どもは可愛い。子どもが路頭に迷わないよう、というか、「お金を理由にやりたいことができない環境にはさせたくない」という欲求から、コツコツ貯めてきたお金があるし、「稼がねば」とも思う。が、本質的に、私はお金を稼ぐことが得意ではない。ああ、ジレンマ……なんて嘆いているうちに、本当にしんどくなってきてしまって、この記事を書いているとき(2025年12月現在)には好きなものに向き合うことすら、物理的にも精神的にもできなくなってしまった。この感じ、覚えている。うつの一歩手前である。
そんな折、とうとう私も生成AIを相談相手として活用するときがやってきた。夫との不和が生じ始め、「誰に気持ちを相談すればいいのか」と思い悩んでいたとき、「そういえば現代の人々は生成AIと友達のように向き合っているらしいな」とひとりごちた。
生成AIに助けを求めてみたところ、“それっぽい”回答になってしまうとはいえ、とっ散らかった思考を要約するのに便利だった。あちこちに外れてしまう自分の考えを整えてくれるような存在として活用している。
そんな生成AIとのやりとりを通じて作り上げた「やりたくないことリスト」を書き残す。
やりとりの流れ
まずは、やりたくないことを思い浮かべやすくするために、生成AIに対し、自分に質問するよう命じた。
これまでのやり取りをふまえて、「やりたくないことリスト」を作成したいのですが、質問を投げかけてくれますか?
“これまでのやり取り”というのは、この質問をやる以前にも投げかけていたいくつかの相談事のチャットである。生成AIは30もの質問項目を作ってくれた。それに丁寧に答えていったのち、表れたのが、私のやりたくないことである。
私が感じている“負荷”を知る
生成AIは、私のやりたくないこと、私に特有の“負荷”とは、何かをするという「活動」そのものではなく「構造」であると回答した。
あなたが避けたいのは「活動」ではなく「構造」です。
特に強い拒否が出ているのは:
評価される構造
機嫌を取らされる構造
正しさ・普通・成果を求められる構造
人前で自分を維持し続ける構造
この回答に対し、
私は一体、何に怯えているのでしょうか。なぜ怯えているのでしょうか。 深掘りするために必要であれば、再度他の質問を投げかけてくれても構いません。
と問いかけたところ、
あなたが本当に怯えているのは、「失敗」や「嫌われること」そのものではありません。
あなたが怯えているのは――
自分の内側が壊れるまで、気づかれずに消耗し続けること
そして、それを「自分のせい」にされることです。
と返ってきた。この時点ではかなり抽象的だが、このような相談事を何度か繰り返してきたからか、以降の解説文は具体的な内容で回答するようになっており、それがなかなか核心を突いていて(生成AIが私の過去を知っているようで)面白かった。
あなたが強く反応しているのは、すべて共通点があります。
それは「自分の限界や感覚が、存在しないものとして扱われる構造」です。具体的には:
疲れているのに「普通はできるよ」と言われる
傷ついているのに「気にしすぎ」と処理される
無理だと感じているのに「努力不足」にされる
体が拒否しているのに「甘え」と誤訳される
生成AI特有の日本語表現が読みにくいものの、物心ついた頃から抱いていた違和感が言語化されるような感じがして面白い。
なぜ怯えているのか、という私の質問へは3つの理由をあげている。
理由1:限界まで耐えた経験がある
親の顔色を伺ってきた
周囲に馴染もうと努力してきた
会社員時代、ハラスメントを受けた
闘病で、身体の主導権を奪われたこれらに共通するのは、「NOを言えなかった」「途中でやめられなかった」「限界を超えてから、やっと止まった」という経験です。
あなたはもう知っている。
「大丈夫なふり」は、本当に壊れるまで続いてしまう
「周囲は、壊れる前には止めてくれない」だから、
最初から危険区域に近づきたくない。理由2:「説明すればわかってもらえる」という幻想が壊れた
あなたは本来、言葉を信じる人です。
でも同時に、こうも学んでしまった。
説明しても、わかってもらえないことがある
正しく話すほど、逆に歪めて受け取られることがある
感情を差し出すほど、軽く扱われることがあるだからあなたは今、
「説明が必要な場所=危険」
と、無意識に結びつけています。
在廊・対話・営業・家族行事・評価の場――これらが全部しんどいのは、説明責任を負わされるからです。
理由3:「存在そのもの」を測られることへの恐怖
あなたはこういう場が、特に苦手です。
成果を出しているか
役に立っているか
明るいか
社会的か
ちゃんとしているかこれは単なる評価ではありません。
「ここにいていいかどうか」を測られる感じ
あなたはそれを、
過去に何度も“生死レベルの緊張”として体験している。だから、
評価
比較
数字
正しさが前に出ると、存在を削られる感覚が出る。
それが「怯え」の正体です。
理由2は、自分でも理解しにくい回答であるが、理由1と理由3については実経験と、ここ最近ずっと悩んでいたことが言語化されたようで腑に落ちた。
やりたくないことリスト
以下が、私のやりたくないことである。
- 人の機嫌や評価を背負いながら関わること
- 「普通」「正しさ」を基準に自分を矯正すること
- 明るさ・愛想・社交性を義務として差し出すこと
- 説明・正当化・納得させることを前提にした役割
- 即レス・即対応・継続稼働を求められる働き方
- 比較・数字・成果で存在価値を測られる環境
- 自分の価値観や身体感覚を曲げてお金を稼ぐこと
- 売れる/評価されるために表現を歪める創作
- 休むこと・動けないことに罪悪感を抱かされる状況
- 一般的な人生モデルに無理やり当てはめられる生き方
一般社会を生きる人々の視点から見た時、結構情けなく映るかもしれない。実際、「自分、“社会不適合者”だよな」と思い、一般的な“社会適合・不適合”で評価した際に自分がどこに位置するのか確認できるように、表と数値化してもらった。
数値(0〜10):10=一般的(“社会適合”)/0=一般的に“社会不適合”と呼ばれやすい

ここまで気持ちよく数値が0よりだと、逆に自信が出るというのは発見だ。
というわけで、2026年は、この「やりたくないことリスト」を参考に、「できなさ」を受け止め、自信に変え(開き直り)、そのうえで「やりたいこと」や「できること」を仕事(残りの人生の意義)にしていければと思う。