この本を手に取ったきっかけは、日本経済新聞の土曜日付朝刊「読書」面で掲載されている書評を読んだこと(参照:為政者が問題を先送りさせるためには、有権者の注意力を削るのが効果的だ―ヨハン・ハリ『奪われた集中力: もう一度〝じっくり〟考えるための方法』武田 砂鉄による書評(ALL REVIEWS) - Yahoo!ニュース)。書評序盤の“今、私たちはとにかく集中力がない”を表すリアルすぎる描写と、著者ヨハン・ハリがその失われた集中力と注意力を取り戻す方法を探りながら、“その力の欠落に直面し続ける”という点に惹かれ、書店に足を運んだのだ。
確かに私も今、集中できていない。原因はスマホ、というより、人生で初めて体験する子育てだと思うが、子育てのてんやわんや以外にも、ソワソワ・イライラ・なんだか気が散ることが増えたように思う。そして、それがいったいなんなのか?なぜなのか?私はまた静かに読書を楽しんだり、ブログで自分の文章を考えたり、作品の制作に集中したりできるのか?といった疑問に対する一つの解答がほしくて、じっくり時間をかけて読み進めていった。
本の中で印象的だったのは、著者が「個人の意志」ではなく「環境や構造」に焦点を当てていた点である。しかもそれが、いわゆる最新のテクノロジーの話題に限らないことが興味深かった。私が表した最新のテクノロジーというのはスマホとかSNSとか、そういったもの。これらについては、過去に読んだことのあるカル・ニューポート『デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方』(早川書房・2021年)でも触れられていた。たとえばSNSをチェックをし続けてしまうのは個人の意思の問題ではなく、SNSを提供する企業が構築した仕組みによるもの、といった具合に。もちろん、この手の話題にも触れているが、そこから更に、食生活の乱れや環境汚染、ADHD増加の背景やその向き合い方、今を生きる子どもが置かれている環境にも話題が及ぶ。目次で、章のタイトルを示す文字の羅列だけを眺めていると、一見関連がなさそうに思え、驚くと思う。「ああ、そっちに話を持っていくのね」と冷ややかな目で見る人もいるかもしれない。けれど、第1章から順繰りに、丁寧に丁寧に、それこそ集中力と注意力を持って読んでいくと、少しずつこの問題の根の深さに触れることになる。私はゾッとした。思考する力がこれ以上奪われることになったら。これほど恐ろしいことはない。
集中できないのは必ずしも自分のせいではない。集中できなさに不安を覚えたり、社会生活を送る中で過度に競争させられてはいないかと疑問を覚えたり、そういう人にこの本をぜひおすすめしたい。自分の生活で集中力を奪っているものは何かと考え、集中力と注意力を取り戻すために行動するきっかけになるはずだから。
