この本は、情報が氾濫する現代社会においてますます重要さを増す「科学リテラシー」について解説した本である。
文部科学省は「科学リテラシー」(科学的リテラシー)について、「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」と定義している(引用元:資料4‐8 PISA調査(科学的リテラシー)及びTIMSS調査(理科)の結果分析と改善の方向(要旨):文部科学省)。
すごく簡潔にまとめるなら、科学的な知識や考え方を理解し、活用する能力のことを指す。
私がこの本を選んだのは、この記事を執筆している段階では腹にいる我が子に、正しい情報を選択し、合理的な判断をするための考え方やその具体的な方法について伝えるため、まず自らが科学リテラシーのある人間になりたいと願ったからである。
自分では、フェイクニュースや擬似科学的な情報に惑わされないという自負があるが、それは日々の会話の中で「本当に?」「なんで?」と質問責めにしてくる夫の影響が大きい。それに、かつての私は不安が大きく、今以上に感情的な人間だったので、擬似科学的な情報にまんまと惑わされるタイプだった。
そういった過去があるから、「読んでおいて多分損はないな」と思い至ったわけである。
加えて、私はNHK Eテレの「サイエンスZERO」という番組が好きだ。著者の竹内薫氏がこの番組の司会を務めていた頃、「この人の解説、わかりやすいな〜」と思っていた。そんな彼の書籍である。腑に落ちるんじゃないかな、と思って。
個人的に心に響いたのは、「第1章 科学にまつわる『思い込み』の罠」である。
偏差値は決して高くないものの、一応自然科学系の学問を学んできた身として、「科学では、100パーセント正しい結果は得られない」ということは理解している。
けれど、確かに世の中の「科学」を匂わせる商品だったり文言だったり、それを受け取る側の反応だったりを見ていると、結構、安直に科学を信頼している様子がうかがえる。
著者の竹内氏はそれを危惧しているのではないか。
「そもそも最初から、科学には100%はあり得ない」(p.43)
「科学はあらゆることを解明できる万能ツールではない」(p.54)
これらの言葉は、未知の出来事に対する不安が大きい人には丁寧に、そしてしっかりと伝えていかなければならない言葉だと思う。
加えて、現代社会を生きる上で、理科系の科目が好きだろうが嫌いだろうが、大切な考え方だと思ったのが、「第2章 あなたのまわりにひそむ『非科学的』思考」の中にある「情報の受け取り方にも、科学リテラシーがあらわれる」(p.130〜)の内容である。
マスコミによる報道も、SNSに流れるニュースも、そこで公開される情報を不特定多数の人に届けるために情報が「切り取られる」ことが大半であり、私たちが知れるのは情報のほんの一部だけ。それを私たちはどこまで理解しているか。
「情報を受け取る側の私たちには、情報を見極めること、事実から判断すること、つまり批判的思考力が必要になります」
「誰かの意見をすぐうのみにせず、一次資料まで調べる。誰がどんな根拠で言っていることなのかを吟味する。信頼できる専門家の発信にあたる。それを踏まえて自分で論理的に考えてみる。こういった姿勢が大事なんです」
(ともにp.139)
第2章では、 フェイクニュースや疑似科学の具体的な事例が多数登場するが、その事例をもとに、目の前の情報に対して能動的な姿勢を取ることの大切さを知ることができる。
この本は、すでに科学リテラシーを身につけている人にとってはごく当たり前の内容である(私とは対照的に、何事もあまり不安を覚えない夫がこの本を読み終えた時の感想は「普通のこと言ってる」だった)。
とはいえ、情報を鵜呑みにしがちな人や噂話を信じがちな人、小さな不安がきっかけであらゆることに対して不安に陥りやすい人、科学が万能だと思い込みがちな人などなど、思考が極端に走りやすい自覚があるのなら、教本として手元に置いておいて損はないのではないかと思う。
少なくとも私は、自分への戒めとして、そしていつか我が子に質問された時に科学リテラシーを説けるように、この本を手元に置いておくと決めた。
