ユクスキュル/クリサート著、日高敏隆・羽田節子訳『生物から見た世界』(岩波書店・2005年<第1刷>)

生物から見た世界 (岩波文庫)

 

この本について

タイトル通り「生き物から見た」世界について説かれた本である。

人間は人間から見た世界に生きるが、イヌや鳥や昆虫が生きる世界は、各々が見る世界であり、人間から見た世界とは異なる、ということを教えてくれる。

 

なぜ、その本を選んだか

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮社、2022年)に登場する書籍であり、その視点があまりにも面白かったから、読んでみたいと思った。

『暇と退屈の倫理学』についての記事はこちら(↓)。

www.tomutomu-corp.com

 

なお、『生物から見た世界』の内容を分かりやすくかいつまんで楽しみたい場合には、『暇と退屈の倫理学』の<第六章 暇と退屈の人間学ートカゲの世界をのぞくことは可能か?>を読んだ方が理解しやすいかもしれない。

なんせ、ユクスキュルの原著が最初に発行されたのは1934年。私が読んだ岩波文庫の翻訳の底本に用いられたのは1970年版である。そのため、言い回しや独特の表現に面食らい、読み進めにくいと感じるかもしれない。

とはいえ、出版年が古い書籍にしては比較的とっつきやすい本だと思うので、興味がある人はぜひ本記事でご紹介する岩波文庫の『生物から見た世界』を読んでみてください。

 

心に響いた箇所について

ダニの生活と時間

書籍に登場するマダニは、温血動物の狩りに成功するまで、適当な木の枝先で獲物が来るのを待ち続け、血を得たら地面に落ちて産卵して死ぬ。

目も味覚もなく、限られたシグナルだけで上記の生活を行うし、シグナル(哺乳類の皮膚線から漂い出る酪酸の匂い)を感知するまで、食物なしで18年という歳月を待ち続けることができる。

私たち“人間”から見る世界を通じて、マダニの生活環を文字に起こすと、その年月の長さに驚き、辛抱強さを感じてしまうものだが、“ダニ”からすればこの生活はごく当たり前のことなのだと気づかされる瞬間が面白い。

待機時間が長いとか退屈そうに感じるのは、私が“人間”から見た世界しか持ち得ないからなんだよなー。

 

人間、イエバエから見た街路風景の違い

p.42〜43に、上記で示す生物(+軟体動物)の目が生み出す像の図があるが、イエバエの“細部がはっきりしない”世界では、クモの巣の糸がまったく見えなくなるだろうと記されている。

「何で虫はクモの巣に引っかかるんだろう」と思った時、人目線ではなく虫目線でクモの巣を捉えれば、クモの巣が“獲物の目に見えない網”であるのだと分かると知って感動した。

 

時間の捉え方もものの捉え方も違う

その生き物にとって、重要なもの・重要でないものがある。情報の捉え方が各々異なるということをこの本は教えてくれる。

そう考えると、『暇と退屈の倫理学』にも取り上げられていたが、盲導犬はすごい。イヌはイヌの世界でものを捉えているが、盲導犬は目の見えない人にとって重要なものも自分の世界の中で捉えるよう訓練されているから。

イヌにとってはどうでもよい段差が、目の見えない人にとっては重要な段差だったりする。盲導犬はそれを理解し(訓練によって理解させられ)て、目の見えない人が転んだり、前へ進めなくなったりしないよう、段差や障害物を避けるんだから、考えてみるとすごい。

 

この本について感じたこと

ライターの仕事で、「人間中心主義」や「ポスト人間中心主義」というキーワードに触れる機会があった。厳密には、この本が示したいことと上記キーワードが深く関連しているわけではないと思うが、私はこの本を読みながら、これらのキーワードを思い出した。

どう抗っても、私は人間なので、物事を人間目線でしか考えることができない。しかし生き物には各々から見る世界があって、その感覚は人間のそれとは違うのだということをあらためて知ると、ものの見え方が変わる。

「常識を疑え」と説く本では決してないけれど、「そういう見方もある」と捉える練習にはつながる気がする。

純粋に、ハッとさせられる本だ。

 

この本をどんな人におすすめしたいか

生物が好きな人、時間や空間の“捉え方”について興味がある人におすすめしたい。