人によってはどうでもいい前置き
仕事で大河ドラマに関する記事を書いている。
これまでも大河ドラマを楽しく鑑賞してきたが、同時にドラマの鑑賞はお仕事の一部でもあった。前作『光る君へ』であれば「源氏物語」を読み直したり、平安時代の歴史を勉強し直したりと、ドラマの時代背景に関連する情報を収集して記事執筆に臨んでいた(それでも、台詞の聞き間違いや解釈違いによって読者の皆様にお叱りの言葉をいただいたこともあった。ご指摘ありがとうございました)。
そして今回もまた、大河ドラマに関する記事を執筆する機会をいただけたのであるが、これまでのように「毎週」鑑賞するのはいったんお休み。そこで、ふと「純粋にドラマとして楽しむ良い機会かも……」と思い、事前情報を一切入れずに第1回を鑑賞してみたところ、とても面白かった。
なので、お仕事ではない鑑賞録を残してみようと思う。
ただし、お仕事ではないゆえに鑑賞タイミングは一定ではない。NHKオンデマンドに登録しているので、いつでも鑑賞できる分、何回かの放送を一気見することもありうる。そのため、鑑賞録は不定期更新となるだろう。
ただし、できる限り、放送日前日の土曜日に定期的に更新できればとは考えている。
また、正直に打ち明けると、私は歴史という科目が不得意、というか、小中高と社会の勉強を疎かにしてきた人間なので、驚くほど歴史の教養がない。
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(以下、『べらぼう』)第1回を鑑賞して「面白い!」と感じたこともあり、舞台となる時代の歴史については少しずつ勉強していくつもりだが、本当の本当にこの時代に関する知識がないので、この記事を読んでくださる人をドン引きさせてしまったらごめんね。
第1回鑑賞後の感想
「これ、ビジネスドラマだ……」
横浜流星さん演じる「蔦屋重三郎」が何者なのかを、今回は全く調べずに観始めた。普段のお仕事だったらそらで言えるぐらいに勉強(記事を書くための下準備)をしているのだが。
第1回鑑賞後に改めて調べてみると、「江戸中期の地本問屋、蔦屋の主人」「洒落本・黄表紙などを次々と出版」「写楽・歌麿らの浮世絵版画の版元として、天明・寛政期(一七八一‐一八〇一)の江戸文化に指導的役割を果たした」とある(出典元:精選版 日本国語大辞典)。NHKの公式サイトには「写楽、歌麿を世に送り出し、江戸のメディア王にまで成り上がった蔦重こと蔦屋重三郎」との記載がある。
そんな江戸のメディア王の波乱万丈の物語が始まる中、私が「ビジネスドラマだ」と思い、胸を高鳴らせた場面が以下のシーンである。
第1回の魅力的なシーン
遊郭・吉原は、幕府の許可を得ていない吉原以外の私娼街に押されて客を奪われている。吉原の場末である河岸見世の女郎たちはろくに食べることができていない。そんな折、幼少期の蔦重に本の世界の面白さを教えた元・松葉屋の花魁・朝顔(愛希れいか)が死んだ。蔦重は吉原に再び活気を取り戻すため奔走する。
そんな蔦重は老中・田沼意次(渡辺謙)を訪ね、直々に岡場所への「警動」、奉行所による取締りを懇願した。しかし田沼はそれを却下すると、こう続ける。
「吉原の女郎たちが食えぬのは、なにも岡場所や宿場のせいばかりではなかろう。『けいどう』を願う前に正すべきは、あの忘八親父たちの不当に高い取り分ではないのか?」
「更に言えば、吉原に客が足を運ばぬのは、もはや吉原が足を運ぶ値打ちもない場に成り下がっているのではないか?」
「人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか?お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を」
田沼はごく当たり前のように賄賂を受け取るような人物だが、この問いかけには痺れた。
女郎たちの苦労と残酷な結末、忘八親父たちの傍若無人さを目の当たりにし、田沼からはこういう言葉をかけられ……という蔦重が触れる全ての出来事が、のちの“江戸のメディア王”につながるんだ!と感じられて、まあ、痺れた。
大河ドラマといえば武士や政治の世界といった印象が強く、今回だって政治の世界は描かれると思うんだけど、『べらぼう』は比較的庶民サイドというか商人サイドというか、江戸時代の話だけど現代に通じやすい物語な気がして、これまでになくワクワクしている。
田沼を訪ねたことが知れて、忘八親父たちにボコボコにされて、桶の中で三日三晩反省を強要される中で「自分に何ができるか」をずーっと考えたのち、吉原の案内本“吉原細見”で客を呼び寄せる案を思いついて幕を閉じた第1回。
もうすでに「案内本でどうやって客を呼び寄せるんだろー」と第2回の放送が楽しみでならない。
コンテンツ好きだからハマったのかも
実は今まで、大河ドラマは1回観れない回ができると、続きを観るのが億劫になる、という理由から苦手だった。でも、なんとなく、『べらぼう』は鑑賞が困難な週があったとしても、なんとかして続きを観たいと思うんじゃないかなと思っている。
それはやっぱり“日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物”という文言に心惹かれるからだろう。
これまでの大河ドラマにあまりない着眼点な気がするし、現代のいわゆる「クールジャパン」の礎というか、日本のメディア産業、日本産コンテンツの強みにはやっぱり興味をそそられる。
今、自分は文筆業と画業を営む身だが、幼い頃から映画や本、美術や音楽が好きだった。今の日本の強みであるアニメ・マンガには疎いけど、それでもコンテンツ全般への興味は割とある気がするからこそ、その面白さを追求し続けた人が主役のドラマに惹かれるのかも。
お仕事モードじゃない分、支離滅裂な文章になってしまったが、第1回の鑑賞録はここまで。同じ文量ではないかもしれないが、「継続的に鑑賞し、執筆できますように」と自分に願う。
蔦重と田沼の場面に痺れたんでこれ読む。