現在、読書録がメインのブログとなっているが、ブログを書き始めた頃は映画鑑賞の記録が読書録を上回っていた。
私は映画が好きで、鑑賞頻度とブログに書く頻度が減っただけで、今も映画が好きである。それで、せっかく年の瀬だし、2024年に見た映画を振り返りたい。
まずは2024年に見た映画をざっと書き連ねる。なお、鑑賞した映画を調べる際には、映画関連の配信サイト「映画ドットコム」の映画公開年別リストを活用した。
以下、映画名(劇場公開月)
- 哀れなるものたち(1月)
- デューン 砂の惑星 PART2(3月)
- ブルックリンでオペラを(4月)
- 関心領域(5月)
- インサイド・ヘッド2(8月)
- ジョーカー フォリ・ア・ドゥ(10月)
- クラブゼロ(12月)
哀れなるものたち
この映画は2024年に観た映画の中でかなり上位に入る。ど直球な性描写に面食らう人もいると思うので、安易におすすめすることはできないが、物語が進んでいくうち、むしろこの性描写に前向きな印象を覚え始めたのでそれが面白かった。
物語中盤〜終盤にかけて登場する、エマ・ストーン演じるベラとラミー・ユセフ演じる医学生マックス(彼女を尊重し、ひたすら「待つ」人)の対話が胸にグッとくる。
ヨルゴス・ランティモス監督作品は合う・合わないがはっきりしていると思う。彼の作品を全部は観れていないけど、以前『ロブスター』(2015年)を鑑賞した際、訳わかんなかった割には余韻がずっとあって、「ああ、多分私はこういうの好きなんだな…」と思った。思わされた。
きちんと最後まで観れていないが、『籠の中の乙女』(2009年)は設定からめちゃくちゃ狂っててすでに面白いし、どう考えても嫌な気持ちになりそうだから避けているけど『聖なる鹿殺し』(2017年)とか、多分、最悪な気持ちになりつつ、しっくり来ちゃうんだろうなと予感している。
『哀れなるものたち』も、物語の終わりに彼らしい皮肉が効いてるカットがあって、確か劇場で普通に吹き出した。R18の映画だし、ヨルゴス・ランティモスってだけで気が引けちゃう人には無理強いできないけど、面白いのでぜひに。
デューン 砂の惑星 PART2
『デューン 砂の惑星 PART1』公開前に、勇気を出して(?)デビッド・リンチ版『デューン/砂の惑星』(1984年)を鑑賞し、玉砕。でも、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督版は激ハマりした。特に夫は結構気に入っており、多分彼の中で、2024年公開の映画に限らず、かなり上位に入る映画だと思われる。
SF映画慣れしていない人や、激しめの場面転換が好きな人にとっては、内容が難しく感じられたり、退屈に感じられたりもするはずだ。
一方で、SF映画ではあるものの、文化人類学とか政治とか、そういうものに興味がある人なら面白いと思う。結構、そっち寄りの映画だと私は考えている。
架空の設定ではあるけど、民族や文化の違いみたいなものをうまく描いている映画だから。
私は単純に、映画に登場する「サンドワーム(砂虫)」(広大な砂漠に生息する巨大なミミズ状の生物)のビジュアルと、それを乗りこなす(!)場面でのスピード感に心を射抜かれました。
ブルックリンでオペラを
私はピーター・ディンクレイジという俳優が好きで、この人が出演している上、設定が何やら面白そうだったので夫を誘って鑑賞。見事に面白かった。
ピーター・ディンクレイジは『ゲーム・オブ・スローンズ』で有名。夫と一緒に観た映画『ピクセル』(2015年)でも良い役を演じてた。見逃してしまったけど、『シラノ』(2021年)(1897年の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を原作とした2018年の舞台ミュージカルを基とした映画)もどこかで必ず観たい。
ちょっと、まあ、まずあらすじを読んでください。
ニューヨーク、ブルックリンに暮らす精神科医のパトリシアと、現代オペラ作曲家のスティーブンの夫婦。人生最大のスランプに陥っていたスティーブンは、愛犬との散歩先のとあるバーで、風変わりな船長のカトリーナと出会う。カトリーナに誘われて船に乗り込んだスティーブンを襲ったある事態により、夫婦の人生は劇的に変化していく。
私は幼い頃から演劇が好きで、とにかく「物語」が好きだったので、こういう設定が好き。それでいてこの映画がすごいのは、絶対に現実では遭遇しなさそうな人物設定、物語展開なのに、そんなにファンタジーめいたフワフワしたものには感じられず、純粋に全キャラクターが魅力的に描かれていたということ。
これもまあ、合う・合わないはあると思うが、比較的「映画好き」の自負のある人はぜひ観てください。
関心領域
これは記事に書き残していますね(↓)。
加害者も人間。『関心領域 The Zone of Interest』(2024年)
悲鳴や銃声が飛び交う中、いたって普通な生活が描かれる、という狂気。この映画のための音楽(というか不協和音的な音)や映像効果が独特で、観るのも評価するのもなかなか難しい印象はあるけど、記憶にはしっかり刻まれるって感じの映画だった。
インサイド・ヘッド2
この映画については少し評価低め。
全然悪い映画ではないと思うけど、前作『インサイド・ヘッド』(2015年)に比べると、「感情」が増えることもあって内容が複雑&要素多すぎな感じがした。私の語彙力で表現すると、画的にも音的にもちょっと“うるさい”映画だったかと。
元々、前作も今作も親目線の映画だから、それが仕方ないのかな。もう少し自分が年を取るか、子どもの成長を身近に感じながら観るか、鑑賞する人の状態に左右される映画なのかも。
パニックに陥る感じとか、制御がしにくい感じとかは「ちょっと分かる…」ってなったけどね。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
「ただの人」を強調する、スッゲーきつい映画だった。学生時代に先輩に言われて、大人になった今となっては「そうだよな〜」と強く思う言葉に、こんな言葉がある。
「誰もお前のことなんか見てねーよ」
で、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はまさにそんな感じの映画で、それをひしひしと感じさせられながらも、ジョーカー、もといアーサーがそれに全然気づけなくて、なんかずっと「痛い、痛い、痛い」と思いながら観てた。
皆に求められて、ジョーカーとして振る舞うんだけど、やっぱりアーサーはアーサーでしかないからめちゃくちゃスベり倒すという場面があって、それがめっちゃきつかった。
演劇とかお笑いの舞台に立ったことがある人で、他の役者陣とか観客とかの冷ややかな空気を一度でも味わったことがある人は、多分、その時の嫌な気持ちを味わされると思います。
映画としては好き。
でも、前作以上に負の感情(しかも怒りじゃなくて虚しさとか苦しみ)が湧いてきちゃう映画だと思うので、観る時の体調、精神状態には要注意って感じ。
クラブゼロ
つい先日見てまいりました。
“「意識的な食事」を説く栄養学教師と彼女に心酔する生徒たちの運命を、ブラックユーモアを交えて描いたスリラー”で、大好きな俳優ミア・ワシコウスカが主演。画が可愛いし、ブラックユーモア好きなので、面白いんじゃないかな〜と思って鑑賞。
以下、あらすじ。
名門校に赴任してきた栄養学の教師ノヴァクは、「意識的な食事」と呼ばれる最新の健康法を生徒たちに教える。それは「少食は健康的であり、社会の束縛から自分を解放することができる」というもので、無垢な生徒たちは早速実践を開始する。ノヴァクの教えに感化された生徒たちは「食べないこと」に多幸感や高揚感を抱くようになり、その言動は次第にエスカレート。両親たちが異変に気づいた時にはすでに手遅れで、生徒たちはノヴァクとともに「クラブゼロ」と呼ばれる謎のクラブに参加することになる。
鑑賞後、夫は「西洋と東洋の文化の違いからかあんまりしっくりこなかった」と言っていて、「まあ、確かに」とも思った。夫はそもそもの設定、ノヴァクが「意識的な食事」を生徒に教える前から、生徒たちの思想も親や教師ら大人の思想もやや極端だと感じたらしい。
なので、中途半端に現実的な映画が苦手な人にとっては苦手な映画かもしれない。
ただ、個人的には途中で登場するある場面で心射抜かれた。もらいゲロ(魅力的な場面をネタバレすることにはなると思うので、一応白字で隠しました)しそうになって感動した。
信じる・信じないって難しいし、それって人と人との関わり方や信頼できる否かだけで決まっちゃうっちゅー恐ろしさ、そういうのを感じさせてくれる映画で私はワクワクした。
画は可愛いけど、ちゃんとスリラーだと、私は思いました。
以上、2024年に観た映画の振り返りでした。