今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(日経BP・2024年)

「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策

この本がどのような本であるかは、この本を開いた時の「そで」(本の表紙の折り込み部分)に記載された一文に集約されている。

「伝えること」「わかり合うこと」を真面目に考え、実践したい人のための1冊です。

 

この本は以前から気にはなっていたのだが、自分から手に取ったわけではない。父が貸してくれたので読んだ。

今の私は自分と考え方が異なる夫との生活に慣れており、「何回説明しても伝わらない」のは当たり前で、それでも伝え続けることが重要だと考えている。おそらく父は、むか〜し私が夫について愚痴ったことを思い出して貸してくれたのだと思う。

 

この本が伝えたいことの核でもある、「伝わらない時、何が起きているのか」を解説する第1章、第2章は非常に面白かった。多分、どんな人が読んでも「ああ、だから伝わらないのか」と納得することができるはずだ。

考えてみれば、そりゃそうなのだが、共通の言語があっても一人一人の解釈はまったく異なる。

例で登場する「ネコ」という単語について、 ネコのキャラクターが浮かぶ人がいるかもしれないし、ネコ嫌いが想像するネコは凶暴かもしれない。猫好きな人においては飼っている猫や愛らしい猫の姿を想像する、といった共通点が生じるかもしれないが、その姿も人によって違うはずだ。

だから、はじめから、話す・伝える人の言葉や考えていることがそっくりそのまま、聞く人に伝わるわけがないのである。

 

第1章、第2章でそれが分かるってだけでも儲けもんだが、この本には少し課題があるようにも思える。

第3章、第4章では、それをふまえて「言えば→伝わる」「言われれば→理解できる」の実践方法と、「伝わらない」「わかり合えない」を超えるコミュニケーションのとり方について紹介されている。

しかし、個人的には、この章から急に難易度がはねあがったような印象を受けた。

この記事の最後に、この本を貸してくれた父についての愚痴を記しているのだが、父が挟んだと思しきしおりが第3章の途中で止まっていたことを考えると、彼はここで読むのをやめてしまったのではないかと推測する。

そのぐらい、急にちょっとむずい。

とはいえ、この本が伝えたいことは、自分も相手も思い込みやバイアスがあるということをしっかりと理解したうえで、「伝わらない」「わかり合えない」ことを前提に、丁寧に言葉を交わしていくことの大切さ、だと思う。

最もわかりやすい事例でいえば、“メールは「読む人」の立場で書く”とか、「暗黙の了解」から脱却して説明の手間を惜しまないようにするとかである。

ただ、この実践編に関しては、結局のところ、相手のことを考えられて行動できるうえ、いいコミュニケーションをはかりたいと願う人にしかできない、というか、一番実践してほしい人たちにはやっぱり伝わらなさそう……と思ってしまったのが正直なところである。

第1章、第2章での指摘を自分ごととして受け入れられない人は、第3章、第4章の実践は難しいのではないかと考える。

それに、第1章、第2章での指摘を自分ごととして受け入れている人は、とうに第3章、第4章を実践している気がするし。

 

そういう意味では、この本自体にちょっと皮肉が効いちゃってる感じがする。

それでも、私は仕事柄、時々、人と対話によるコミュニケーションをとる機会が生じるので、気合を入れて第3章、第4章を繰り返し読み、理解する必要があるなと感じた。

 

なお、最後に、読書録とは関係のない愚痴を少し。

この本を読み進めていた今月、年を重ねた父とチグハグな会話をすることが多々あった。得意げな顔でこの本の内容を父が語っていたことを思い出す度、「もう一回しっかり読み直してくれ……」「自分に都合の悪い内容について記憶を改ざんしていないか思い直してくれ……」と思わずにはいられなかった。

ただ、まあ、それぐらい、今作にも記されている通り、人というのは自分に都合の悪いことを記憶から消し、自分に都合の良いことを良いように改変する生き物だということで、父とのチグハグな(精神的に疲れる)会話は、コミュニケーションがどれほど尊く難しいかを実感させられる出来事でもある。